Vol.2 No.2 2009
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研究論文:遺跡が語る巨大地震の過去と未来(寒川)−96−Synthesiology Vol.2 No.2(2009)ちた墳丘盛土が覆い被さった地層の年代から慶長伏見地震の痕跡とわかった。この地震については、寺社や公家の日記に、京都では伏見城の天守閣が崩れて、東寺・大覚寺・天龍寺・二にそんいん尊院などが倒壊し、大坂や堺の町屋が大被害を受け、兵庫(現在の神戸)では建物が倒壊した後に火事で燃えたことが書かれている。また、後述のように、活断層の発掘(トレンチ)調査から、この地震が有馬―高槻断層帯や淡路島の活断層などによって引き起こされたことがわかった。慶長伏見地震の場合、活動した断層が判明し、文字記録から城郭・寺社・民家の被害がわかる。これに遺跡の地震痕跡から把握できる地盤災害を加えると、地震の全体像を三つの視点から把握できる。5.5 液状化現象に関する新知見1964年の新潟地震以降に液状化現象が注目されるようになったが、地面に流れ出した噴砂については、地震発生直後に誰もが観察できる。しかし、噴砂を供給した本来の砂層や、地下を上昇する過程の噴砂についての知識は乏しく、従来は地下のボーリング調査資料からの推測に留まっていた。しかし、遺跡で液状化跡が見つかった場合、地下を掘り下げて地層の断面を観察できるので、これまで不明だった次のような基礎的な事実が把握できるようになった。例えば、液状化現象が発生した際に噴砂を供給した砂層の深さについて、ほとんどが数10 cmから2 m程度であり、一般的に考えられていたよりも浅い位置であった。また、液状化現象は砂層で発生すると考えられていたが、礫(小石)の比率の多い砂礫層が液状化して大量の礫が砂脈内を上昇した事例も遺跡で見つかっている。図8は琵琶湖湖底の針江浜遺跡で観察された液状化現象の痕跡である。礫を多く含む砂層で液状化現象が発生しているが、地下水と一緒に砂や礫が上昇する際に大きな礫は取り残されている。この場合、地表での観察だけで判断すると、礫を含まない砂層で液状化現象が発生したことになるが、実際は、そうではない。このように、液状化現象が発生した地層が流動して、噴砂が地上に達するまでを連続的に観察することによって基礎的な知識が得られる。6 阪神・淡路大震災1995年1月17日の兵庫県南部地震は、地質調査所1990年発行の5万分1地質図幅「明石」に示した野島断層の活動によって生じた[18]。この断層の位置や活動の様式は図幅の説明書に正しく記載していたが、説明書執筆時は将来の活動時期を考察し、その断層の活動によりもたらされる地震災害の規模を予測できる段階には達していなかった。阪神・淡路大震災を契機として活断層の重要性が認識され、政府の組織として、当時の科学技術庁(現・文部科学省)に地震調査研究推進本部が設置された。そして、全国の主要な活断層について、正確な位置や活動の性格、さらに、これまでの活動履歴を調べて将来の活動を確率的に予測し、活動によりもたらされる地震動の大きさ・広がりを予測する国家的プロジェクトが開始された。これを工業技術院地質調査所や科学技術庁・全国の自治体・大学が分担して調査研究を実施した。京都盆地南西部から大阪平野北縁を通って淡路島に至るまで、多くの活断層が帯のように連なっており、その中の野島断層(図6のNF)が主に活動して兵庫県南部地震を引き起こした。大震災の直後から、もし他の活断層が長い間活動していなくてエネルギーが充分に蓄積されているなら、今回の地震と連動する形で、さらに大きな地震が近いうちに発生するのではないかという懸念が持ち上がり、大阪平噴砂地震の時の生活面010 cm図7 内里八丁遺跡の液状化跡(八幡市教育委員会発掘、寒川撮影)図8 針江浜遺跡の液状化跡砂礫層で液状化現象が発生しているが、大きな礫は地面まで達していない。

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