Vol.2 No.2 2009
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研究論文:遺跡が語る巨大地震の過去と未来(寒川)−95−Synthesiology Vol.2 No.2(2009)伊予の道後温泉の湯が出なくなった。土佐国(高知県)では田畑五十余万頃しろ(約一千町歩)が没して海となった。波が押し寄せて、調みつぎ(税)を運ぶ舟がたくさん流失した」と詳しく記述されている。畿内を含む広い地域が激しく揺れて、道後温泉の湯が止まり、高知平野が沈降して、太平洋沿岸に津波が押し寄せるのは、太平洋海底のプレート境界である「南海トラフ」で発生する南海地震の特徴なので、684年に南海地震が発生したことがわかる。5.3 南海トラフの巨大地震南海トラフの巨大地震について、図5に年表を示した。トラフを西からA〜Eと5区分しており、AとBで南海地震、CからEかにかけて東海地震が発生する。後者については、昭和以降ではCとDで東南海地震、Eで想定東海地震と区別される。図5に西暦で示したのは、684年の南海地震のように、文字記録からわかる発生年である。史料の豊富な江戸時代以降では、大きな地震の場合は、ほとんどが文字記録として残されている。対照的に、江戸時代より前では、史料の絶対数が激減するため、地震があっても記録が存在しないことが多い。図5に記入した西暦年代を見ると、江戸時代以降の地震の数が多くなるのはこの理由からである。静岡県の浜名湖の東方に位置する袋井市の坂尻遺跡の調査では、7世紀中頃の住居跡が噴砂で引き裂かれていた。8世紀初めの建物群(郡衙)が噴砂の上に建築されていたので、7世紀後半に東海地域が激しく揺れたことがわかる。さらに、同じ年代の液状化跡が静岡市内の川合遺跡、愛知県の田所遺跡で見つかっており、『日本書紀』に書かれた684年の南海地震と同じ頃に東海地震も発生した可能性が高い。また、684年の南海地震については、和歌山市の川辺遺跡や、奈良県の酒船石遺跡で対応する地震痕跡が確認されている。一方、1498年に東海地震が発生したことが記録されているが、南海地震を示す史料は存在していなかった。しかし、1989年以降、四国の高知県四万十市のアゾノ遺跡や徳島県板野町の遺跡で、次々に15世紀末頃の液状化現象の痕跡が発見されたので[9][17]、この年代に四国全体が激しく揺れる南海地震も存在したことがわかる。このように、文字記録から考えられる地震の西暦年の他に、両地震のものと考えられる地震痕跡を図に書き込むと、南海トラフからの巨大地震は、かなり一定した間隔で、ほぼ同時、あるいは連続して発生している。5.4 慶長伏見地震の全体像を探る一方、大阪平野周辺では内陸地震の痕跡が数多く見つかっている。その大半が、中世の地層を引き裂き、近世の地層には被われているので、木津川河床遺跡と同様に1596年慶長伏見地震によると考えられる(図6)。地震痕跡には様々なタイプがあるが、木津川河床遺跡や内うちさとはっちょう里八丁遺跡のように、京都盆地南部の地下水位の高い沖積低地では、大規模な液状化現象の痕跡が見られる(図7)。また、六甲山地南麓の住すみよしみやまち吉宮町遺跡などでは、液状化現象に伴って地盤が横方向に流れ動いた側方流動の痕跡が見つかっている。高槻市の今いましろづか城塚古墳や神戸市の西にしもとめづか求女塚古墳では、古墳の墳丘が地滑りで大きく変形していたが、滑り落123456ABCDE0200 kmABCDE19461854160517071361194418541605170714988871096109968423456南海地震東海地震東南海地震東海地震南海トラフ1淡路島堺大阪活断層京都奈良淀川大和川020 kmSFOFHFKFNF54123RFZAFZ図5 南海トラフの巨大地震に関する年表(文献[13]に加筆)西暦年で示したのは記録からわかる発生年、●は遺跡で地震痕跡が見つかった遺跡1. アゾノ遺跡、2. 川辺遺跡、3. 酒船石遺跡、4. 田所遺跡、5. 坂尻遺跡、6. 川合遺跡図6 伏見地震によると考えられる地震痕跡(文献[16]に加筆)●で示したのが、伏見地震の痕跡が見つかった遺跡1. 木津川河床遺跡、2. 内里八丁遺跡、3. 今城塚古墳、4. 住吉宮町遺跡、5. 西求女塚古墳1995年兵庫県南部地震で活動したのが、NF:野島断層、1596年伏見地震で活動したのがAFZ:有馬―高槻断層帯、HF:東浦断層、OF:野田尾断層、SF:先山断層、伏見地震で活動した可能性が高いのが、RFS:六甲断層帯、KF:楠本断層
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