Vol.2 No.2 2009
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研究論文:PAN系炭素繊維のイノベーションモデル(中村ほか)−165−Synthesiology Vol.2 No.2(2009)化していなかった。このため経常研究として位置づけられていたが、企業の参入が一挙に増加して、工業化の新たな展開が意識されるようになると、これに呼応するように特別研究、大型のプロジェクト研究へと離陸させ、これがその後の研究を加速させる力となった。3.3 技術移転の実相英国の炭素研究者は1963年の米国炭素会議における進藤博士の発表によってPAN繊維を炭素繊維原料にすることの有利性を認識してPAN系炭素繊維の研究を開始している。また、当時まだ発展途上国であった日本発の発明の価値を認知したのは米国の軍関係者であった[2]。これは、発明者の進藤博士をも驚かせた。耐熱性、導電性、一次元形状から推定される製品イメージとは全く異なったニーズである「機械的強度」が評価されたのである。研究者は、それに焦点を絞り、さらに性質の高いものがないか、作れないか等に研究興味が移る。このあたりから、わが国の炭素製品メーカー、化学繊維メーカー等が参入し始める。しかしながら、公表されている特許を参照しても発明者のものと同等の強度のものはできない。物性を決める条件は何か。何を評価軸として開発してよいかを発明者グループに「公には内緒で」技術指導を受けに来ていた。上記メーカーの分類ではない企業も新規参入の機会を窺っていた。このことが発明者グループのところに各種データの集中をもたらす。競合他社の情報は決して漏らさないルールはしっかり守られていたため、結果として発明者グループだけに世界最先端のデータと解析結果が集まった。このようなスパイラルは現在でも起こりうる話である。市場原理のもとでの研究開発においては、この部分についてのシステム化・効率化には手をつけることができない。もちろん、先発グループの必死の努力で商品化した後の、第2グループへの技術指導は、特定企業の名前を明かさないで系統的に行うことはできるかもしれない。その際、第2グループは、単に先発グループと同じ製品を開発するのではなく、自らのオリジナルアイデアを付加しようとしての開発研究であると、公的機関研究者も企業研究者も心得ることが肝要である。このオリジナリティが先発商品をしのぐものに成長する源である。すなわち、世間にまだないものを見出す力(発明者グループ)、芽が出た研究結果を見逃さずに取り上げる力(先発グループ)、ある程度見えてきた製品の性能向上のための改良研究を行う力(第2グループ)と、技術革新には様々な段階が存在する。とかく、発明者グループの偉業がもてはやされる結果とはなるが、技術の組み合わせによる技術革新もまた重要な産業競争力の強化に寄与する要素であることも忘れてはならない。PAN系炭素繊維の開発においては、炭素製品メーカー、化学繊維メーカー、電機メーカーなどの一部企業が興味を持ち技術取得を試みており、実際の製品が世に出る10年以上前から技術移転が行われている。炭素繊維そのもの、および樹脂と組み合わせたCFRPは全く新しい材料であったため、研究開発の段階においても、製品としてベスト性能のものかを判断するための評価基準がないまま手探り状態の時期が長く続いた。後発企業においては、ますます混乱が助長し、進藤研究室に自社の製品を持ち込み、「これが本当に炭素製品と呼べるものなのか?」から「どういう物性を研究開発指針としたらよいのか」「同じものを作るキーポイントは何?」等の問い合わせが続出した。もちろん、その過程において進藤研究室で開発された「PAN系炭素繊維」なるものに勝るものが偶然にでも開発されれば幸運である。もっとも、そういうものはなかった。そこには、オリジナル研究者、周辺にいる共同研究者による性能向上(または当該材料を超える材料がないことの確認)のための研究が継続的になされていることは論を待たない。企業研究者は企業利益を考慮に入れた研究開発において周辺データの蓄積を図る。ただし、この場合、全てのデータが公表されるわけではない。知的財産として、特許等の取得も盛んに行われる。ただし、出願された特許の内容においては、「本命」のものと「その他大勢」のものが混在している。これは、企業活動の一環であることを認識しておく必要がある。「その他大勢」は競合企業への目くらまし的役割を演じるし、また、技術の売買の際のバーター材料ともなり得るからである。ここで重要なことは、「技術移転」は単一的または画一的なものでなく、周辺状況をも巻き込んで行われるものであることの認識である。すなわち、時によっては、後世の解説は成功事例の要素を先鋭的に取り扱いがちで読者もスマートに読みこなす面があるが、ここで指摘したいことは、競争者が大勢存在することや、関係者の層が厚くなることで大量の非顕在研究結果群に支えられて最高のもの(PAN系)だけが生き残る、という実態である。国立研研究者はこのような実態にも深く関与している。LesterとPioreは、イノベーション創出に向けて「研究者に解釈的取り組みに心置きなく参加できる場を与えれば、研究者の自発性が新たな発展をもたらす」として、「解釈的空間」モデルを提唱している[12]。一方、当時の大工試における「空間」は、明確な技術的ニーズをもった産業界の研究者の集いではあったが、研究者間の交流の場というより、おのおのの進藤グループとの対話があったものであろう。ただし、通商産業省、工業技術院、炭素繊維

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