Vol.2 No.2 2009
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研究論文:PAN系炭素繊維のイノベーションモデル(中村ほか)−161−Synthesiology Vol.2 No.2(2009)争力向上に大きく貢献した。当初、軽量で強靭な特性を付加価値とするレジャー用品から始まり、より信頼性が要求される建築や航空機等の産業用構造材へ拡大し、現在、わが国企業の炭素繊維の世界シェアは8割を占める。2.2 研究環境(大工試の研究マネージメント)炭素繊維開発の始まったこの時期の大工試は「研究による工業技術の振興」を謳っており、そのためのインフラ整備、人心の鼓舞を図っていた。戦後約10年間に大工試が行った研究の内、工業化に至ったものは少なくない。昭和34年(1959年)度「大阪工業技術試験所年報」には以下の内容記述がある[9]。「第1部は無機化学工業に関する研究を行っている。炭素に関する研究は当所では伝統ある研究の一つであり、従来から継続して行われている基礎研究と併行して、炭素製品の密度増大、空気電池用電極、原子炉用炭素材料、粘結材の脱硼素の研究などが行われていたが、当年の最大の成果は『相当な機械的強度をもつ黒鉛繊維、黒鉛織布の製造に成功したこと』で、将来新しい工業用材料として期待されている。」この時点で、炭素材料は従来のテーマであった原子炉用の黒鉛材料に加え、繊維状黒鉛に焦点があてられ、組織的な取り組みを企図していることがうかがえる。1958年8月に仙石正が所長に就任したころから、大工試における研究成果も大いに上がり、研究発表や特許出願の数も急増した。後述のように時代背景は国の経済成長が軌道に乗り始めた時代で、技術革新の波に乗って研究所を設けた企業も多く、また技術指導を求めて大工試へ人を派遣する会社も多くなった時期でもあった。また逆に、大工試における業績を基に、民間から招かれて産業界に進出する人の数も少なくなかった。このように産業界との間での人的な交流も推進されていたことが分かる。さらに、炭素繊維基本特許出願の2年後の1961年には、所内には価値ある研究で未利用のまま埋もれているものも多い実情なので、その研究成果を適当な民間企業に移すことを目的として、技術の指導と相談事務を処理するための「技術相談所」が開設された。当時のマネージメントは産業との協調・連携を大いに意識していたことが分かる。2.3 発明に至る動機発明者である進藤博士は1952年に大工試に入所し、配属先研究室で炭素に関るテーマを与えられていたものの、必ずしも工業化に直結するものとは考えていなかった。こうした状況で進藤博士は、「社会の役に立ちたい」という基本姿勢の下、工業技術に関する研究で新規性のあるテーマを探索していた。この意識の下、日頃の情報収集活動の一つとしていた新聞で、米国において「繊維状の黒鉛が製造された」との記事(図2)[10]を見つけ、これに刺激されたところから新しい炭素繊維(一次元炭素材料)の研究が始まった。この研究に取り組むに当たって、進藤博士は工業化の可図1 炭素繊維開発の流れ 米国 : レーヨンを原料とした炭素繊維の特許出願(W.F.アボット)UCC社レーヨン系炭素繊維織物を米空軍に納入ロールスロイス社経営不振RAEアクリル繊維からの炭素繊維開発開始RAE炭素繊維開発(緊張処理法)米国 セラニーズ炭素繊維の生産開始* HEN : ヒドロキシエチルアクリロニトリルの略、共重合体とすることで焼成時間の短縮と機械的特性の大幅な向上がもたらされた。UCC社PAN系生産開始航空宇宙開発国際的な動き進藤産業界試験所入所大阪工業技術炭素繊維の記事を読む前処理法の発明基本特許出願学会発表学位論文国際学会発表ポステルネク大佐来所炭素繊維の利点を指摘東レ-UCC社 クロスライセンス標準研究開始JIS 制定・技術指導 日本カーボン・松下電器 (1962)・東洋カーボン研究開始・東レ 炭素繊維研究開始(1968)・東レ 炭素繊維プロジェクト開始HENの利用・東邦レーヨン参入(1975)・東レ セミワークスプラント稼動(1973)・東レ 引っ張り強度7000MPaのトレカ糸発売(1986)*・炭素繊維を使用した商品を発売開始(1972)・三菱レイヨン生産開始(1983)・東レ 月産35トン(1979)緊張処理法19851980 1975 1970 1965 1960 1955 1950

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