Vol.2 No.2 2009
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研究論文:遺跡が語る巨大地震の過去と未来(寒川)−93−Synthesiology Vol.2 No.2(2009)ついて多くの文字記録が残されており、木津川河床遺跡の位置する八幡の集落でも家々がことごとく倒れたと書かれている。こうして、木津川河床遺跡では、記録に残る大地震が確かに存在した証拠を見つけることになった[4]。 1986年当時の日本は経済の安定成長期で、交通網・居住地などの開発が盛んに行われていた。開発に伴って地下に埋蔵された文化財が破壊されることになり、これに対応する遺跡の発掘調査も膨大な件数に上っていた。この過程で、考古学の資料が蓄積され、土器などの遺物に関する編年作業が進み、個々の遺物の年代が精度良くわかるようになった。しかし、遺跡の発掘調査の過程で、当然、見つかっていたはずの「地震の痕跡」に関しては、ほとんど関心が払われていなかった。発掘調査で地震痕跡が姿を現しても、考古学的には理解できない現象として、地震の産物という認識がないまま、多くは見逃されてきた。仮に、担当者が地震に関わる現象と気づいても、ごくわずかの場合を除いて、調査方法がわからずに放置される状態であった。筆者は、1987年7月に、つくば研究学園都市から、大阪市中央区の合同庁舎にあった地質調査所大阪出張所に転勤した。古代・中世に都が置かれた関西圏では遺跡調査が盛んで、考古学に対する市民の関心も高かった。その後は、地震の痕跡が見つかった遺跡に頻繁に足を運んで発掘調査に加わった。そして、発掘調査を担当する考古学者から調査の方法や遺物の年代を教わり、逆に地震に関する基礎的な知識を解説することになった。1987年11月には、古代学研究会の大阪における研究講演会で地震痕跡の実例と基礎的な調査方法を紹介した[5]。参加者からは、過去の遺跡調査で地震痕跡らしきものがあったという話題が相次ぎ、反響は大きかった。その直後、考古学者からのアドバイスで「地震考古学」という名前をつけることにして、1988年春に日本文化財科学会と日本考古学協会で、この分野を正式に提唱した[6][7]。さらに、翌年には考古学研究会の学会誌に地震考古学の基礎的な調査方法を紹介した[8]。地震考古学という名称を用いたことによって、遺跡の調査に携わる人たちが、地震痕跡も考古学の研究対象であると認識するようになった。遺跡の発掘調査の過程で地震痕跡が見つかった場合に、年代を絞り込み、さらに地震による人々への影響の痕跡などを検討する事例も増えた。そして、調査完了後に作成する遺跡報告書には、地震痕跡に関する詳しい記述がなされるようになった[9]。国立奈良文化財研究所(現・独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所)では、全国の自治体や埋蔵文化財センターから派遣された多くの発掘調査担当者が滞在して新しい研究法などの研修を受けるシステムがあり、1989年度からは、講師として筆者が地震痕跡の調査方法を指導するようになった。4 研究の特徴人々が生活した痕跡が地下に豊富に埋蔵されている地域や、文化財として貴重な建造物(古墳など)が、1950年制定の文化財保護法に基づいて「遺跡」に指定される。遺跡には、住居跡や溝跡などの遺構や、皿・茶碗・副葬品・農機具などの遺物が豊富に埋蔵されており、遺跡が開発によって破壊される場合には、建設工事に先行して考古学的な発掘調査が行われる。日本の考古学は遺構や遺物に関する年代編年が進んでいるので、遺跡発掘調査で地震痕跡が見つかった場合、年代のわかる遺構や遺物との前後関係を考えることによって、地震痕跡の原因となった大地震の年代を絞り込むことができる。特に、弥生時代後期以降に相当する最近の2千年間は、遺構・遺物の考古学的な編年と絶対年代が概ね確定しており、地震痕跡について詳しい年代の把握が可能である。地殻変動の激しい日本列島では、相対的に沈降する地域が、河川や海から運ばれた土砂で埋積されて平野や盆地となる。私たちの祖先は、平坦で水の得やすい場所に生活の拠点を構えてきたので、遺跡の大半は平野と盆地に集中し、古い年代の遺構・遺物ほど下位に埋積されている。大きな地震が発生した場合、地盤の軟弱な地域の被害が著しく、北仰西海道遺跡や木津川河床遺跡で紹介した液状化現象の痕跡が見つかることが多い。この現象は1964年の新潟地震で現代都市が大被害を蒙ったことで注目を集め、1995年阪神・淡路大震災でもライフラインなどに甚大な被害を与えた。そして、液状化現象によって、地下水と一緒に地面に流れ出す砂が噴砂である。地下に堆積した柔らかい砂層では、砂粒の間に隙間があり、強く揺れると、隙間を小さくするように砂粒が動いて砂層が縮む。この時に、隙間を満たす地下水が圧縮されて水圧を高め、上を覆う地層を引き裂きながら噴砂を含んだまま地面に流れ出す。噴砂の痕跡を模式化した図3では、噴砂が引き裂いた地層が地震の前、噴砂を覆う地層が地震の後に堆積したことになる。遺構・遺物を検討しながら、両方の地層の年代を絞り込むが、この図のように、噴砂に引き裂かれた (地震以前の)地層の最上部の年代が7世紀、噴砂を覆う(地震以後の)地層の最下部が8世紀とすると、この噴砂が7世紀から8世紀にかけての年代に発生した大地震の痕跡とわかる。日本では、過去千数百年にわたる文字記録が残されて
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