Vol.2 No.1 2009
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−79−Synthesiology Vol.2 No.1(2009)座談会:シンセシオロジー 創刊一周年を迎えてしていくのではないかと思います。それから、皆さんがおっしゃるとおり、査読者と著者が一緒になって、お互いが育て合っているという構造が重要だと思うのですが、「基礎研究」と言う以上、学んで、かつ自分が使えるようにしないといけないということですね。赤松 そうですね、それと、この論文を読むことによって、この先、何をやっていくかということを考えられる良いセンスが育てられる。トヨタ自動車の梅山部長にインタビューした時に、「目利き」という言葉がでてきたのですが、こういう見方がある、これとこれは組み合わせられるなど、「目利き」になるために学べるものがすごくあると思います。小林 一方で、この論文を書くためには、製品化くらいまで行っていなければいけないのだと誤解されているのではないかと思うのです。そうではなくて、いろいろなところで構成のステージがあって、それをいろいろなところで書いてもらうように持っていったほうがいいと思うんです。矢部 ただ、企業の人は、成功したところまで書いてくれたものからまず受け入れると思うのですね。「こういうふうにして成功した」という、まさに死の谷を越えるあたりのうまい方法論を読むと非常に勇気づけられるのではないかと思います。きっとそういう人たちに良いメッセージをこのジャーナルは出せるのではないかという意味で、そこら辺から社会に受け入れられていくのではないかという気がすごくしますね。吉川 この雑誌の読者の主要な部分はそういう人たちになるでしょうが、成果が出なくても論文にするという意味では、「シンセシスとは何か」ということを研究する人たちにとっても非常に価値があるわけですね。ただ、シンセシスという学問分野ができてしまうと、そこに閉じてしまうので、矢部さんが言ったようなことは非常に気をつけて意識の中に入れておかなければいけないと思いますね。小野 この雑誌のポイントは、シナリオ作りとシンセシス(構成)にあるのですが、多くの著者の場合、シナリオは思い出せるし、今の時点でブラッシュアップもできる。ただ、シンセシスを書くのに非常に苦労しているなという感じがします。自分のことを考えても、なぜあのときああしたのか、シンセシスの過程がはっきりとは思い出せないのです。吉川 私はその研究をやったわけですね。ある種の設計をして、さてどういうふうに考えたか、思考過程を考えるという研究をたくさんしたのですが、全部、失敗するんですね。要するに、自分の考えたことは完全に忘れているわけ。そういうアブダクションというのは記憶に残らない。この『シンセシオロジー』の編集者のすばらしさは、論理構成はとりあえず置いておいて、その人に何が起こったかということを客観的に書いてくれということから始めようとした。これは、私は正解だと思っているし、覚えていることを書くしかない。着想の過程というのはものすごく難しいですね。小野 一人で考えていて着想するだけではなく、人と議論する中で着想が生まれたり、人の研究室を見学しているときに思いついたり、いい研究グループはそういう場をすごく提供しているという気がするのです。シンセシスの創造というか、生産性の高い研究グループは産総研にはたくさんあると思っています。矢部 『シンセシオロジー』に書かれたものをどう分析して咀嚼するか、それが我々に課せられた課題だと思っているのです。私は、何のためにこれをこうしたのか、あるいは経済性を上げるとか、環境性を保つとか、リスクをなくすとか、そういう社会面から見て分析して、提案するというプロセスがこれからすごく大事なような気がします。赤松 これまでの第1種基礎研究では、論文を書くことが科学への寄与だったけれど、『シンセシオロジー』の論文は技術を社会で実際に使うために必要な能力を見せるための論文であるべきだと思います。企業の中でこういう論文を書くことによって、目利きであるとか、統合型のことができる人材であるということをアピールして、より良いポストにつくというか、そういうふうに使われるべきはずなんですね。特許をとるということは要素技術を作り出すセンスを証明しているだけだと思うんです。特許や要素技術の論文を出すだけでなく、それを統合するセンスを持っているということを論文に書く。そして、その結果として、社会的にちゃんと処遇されるという形にしないといけない。そういう科学矢部 彰 氏

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