Vol.2 No.1 2009
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−78−Synthesiology Vol.2 No.1(2009)座談会:シンセシオロジー 創刊一周年を迎えて吉川 一般のアナリティカルな論文だって、全部ロジックでできているわけではないですね。ニュートンのプリンキピアには、最初の3ページに等速運動の話と加速度の話と作用・反作用の法則という3原則が書いてありますが、どうしてその3つを思いついたのかということは書いていない。これはまさにシンセシスなのですね。仮説を立てて、その仮説を公理と呼び、その公理があるとこうなるということで現状を説明した結果、現実的・観測的な事実と一致した、これで証明していこう、これは科学論文なのです。最初の公理や仮説を出すというのは、まさにアブダクションというか、シンセシスだけれど、それについて触れないという構造になっているわけですね。しかし、我々はそうではなくて、ものづくりという現場では、仮説である一つのものが出てきて、検証はロジックではなくて、社会のシンセシスみたいになってきているわけで、まさに順番が違う。ジャーナルの編集方針に、「目標を書け」とあるでしょう。これは人間の行為にとって大事なのですね。だけど、一般の科学論文はそれを排除した。私は、いかに科学は人間の思考過程の一部しか表現してこなかったかと非常に実感するわけです。サステイナビリティの時代に失敗する余裕がなくなってきた赤松 今までの工学的な意味での技術の発展は、どちらかというと失敗ベースで進んできたのだと思います。作ってみて失敗して、その方法ではだめだと気がついて、どうしようかと考える、とやってきた。でも、それでは大変な時間がかかってしまう。いま、いかにその失敗を最小限にするかということが求められていますね。吉川 サステイナビリティの時代には、失敗に対する余裕は極めてなくなってきたということでしょう。人間の行為と、人間の行為の結果のインフルエンス、人間に対するリベンジというか、返ってくるスピードが速くなってしまったわけです。誤りは許されないし、あるいは再評価しなければいけないが、時間に追われている。人間のアイデアと状況の変化が競争する時代になったのです。ですから、学問的な意味でのSynthesiologyという、非常に大きな問題を解くと同時に、現代的な要求にもマッチしていると言っていいと思うのです。赤松 少しオーバーに言うと、こういう論文を書ける人がほんとうの賢者ですね。社会が必要としている賢者が 『シンセシオロジー』で表現されているはずなのです。Synthesiologyによって我々は社会の課題にどう貢献できるか小林 近年の日本の研究開発効率(研究開発投資額と5年後の産業部門における付加価値総額の比)は欧米に比べて低いというデータがあります。日本の製造業はすばらしいと言われていたのに、ここに来てもがいています。我々はそれに貢献できると思っているのですが、それは社会的な課題ですね。吉川 第2種基礎研究をやらなければ絶対だめなのですが、本格研究をやって、製品化研究をやっても、まだ使われないわけでしょう。そこに“ソシアリゼーション”という、「知識の社会化」という行為が必要で、これは本格研究の枠をはみ出していくのですね。そういう問題をSynthesiologyという一つの思想は見せてくれた。何が問題で投資効率が悪いのか、科学研究を一生懸命やっても、なぜ経済に反映しないのか。ある種の指標では、日本は投資の経済効率が低いのですが、それは「社会化」における企業のビヘイビアが悪いからだと、我々は言えるわけですね。出口のところまで製品化をやっている。あとは社会化、ソシアリゼーションという、私はこれを“社会技術”と呼ぶのだけれども、日本の産業の“社会技術”が未成熟だという、そこに問題があるのだと思うのです。シンセシスのロジックの解明と死の谷を越える方法論内藤 創刊号の研究論文のタイトルにある、「大量精製」、「アクセシブルデザイン」、「低コスト製造」、「評価戦略」、「設計販売支援」、「信頼性向上」は、普通の論文にないキーワードですね。まさしく、このキーワードにシナリオと目標の両方が込められている。10年後、20年後、このジャーナルの論文が研究の対象になって、これらのキーワードを分析することによって、研究の戦略がどのようにシフトしていったかということが見えてくるのではないか。今後、環境問題、持続性の問題が出てくるので、こういうキーワードがたくさん出てきて、かつ問題が明らかになって収斂内藤 耕 氏

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