Vol.2 No.1 2009
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−77−Synthesiology Vol.2 No.1(2009)座談会:シンセシオロジー 創刊一周年を迎えてます。現状の第1種基礎研究は、正しさを証明するロジックのところはルーチン化されているけれども、『シンセシオロジー』では改めてロジックを考えることになるし、書く方もそのロジックをどうやってつくるかと考える。理系の人間としてはロジックを理解するのは得意なほうなので、だからこそ査読ができるのではないでしょうか。そして、正しいことを示すロジックではなく、構成のロジックを書くということは、それを読んだ人を動かすためのロジックになっていると思います。構成のためには何をしたら良いのかという論理的正しさを示すことによって、それを真似てみようと読者が思うのではないかと考えています。シンセシスは論文にできる吉川 人を動かすためのロジックというのは面白いですね。少し歴史的に考えると、シンセシスという話は古いのです。私が研究所から大学に行ったのは1960年代なのですが、最初に設計教育をやらされました。そのとき設計教育の内容の貧弱さに驚くわけで、設計は一番大事だ、学科の教育の中心なのだと言われながら、企業が設計したいろいろなものを持ってきて、写しておけ、というだけなのです。モノをつくるという行為がそこに凝縮しているのに、教師は一言も教えることができない、というのが私の原点なのですね。当時からアナリシスとシンセシスという言葉があったのですが、シンセシスをどうしたら教育できるのかと思って、私は設計学を始めました。設計学をやったおかげで、私は学会では孤立し、論文は5年間も受け付けてくれないという時代を経験したのですが、そうであればあるほど、シンセシスにこだわり続け、私は設計学をいかにして論文にできるかということを必死にやってきました。その後、1985年に国際会議で私の設計学を初めて発表したときに、やや日本とは違って国際的に受け入れられることがわかるのです。そこから設計学という学会ができるけれども、そこでシンセシスは従来の論文の表現形式にはなじまないということが明らかになってくるのですね。もちろん、企業ではシンセシスをやっていましたが、それはドキュメンテーションとしては残ってはいない。私は、「企業でやった知的行為は、製品としては残るけれども、思考過程は“雲散霧消”して、次世代に何も伝わることがない。巨大なロスを人類はしているんじゃないか」という話をしていたわけです。ところが、産総研に来たら、研究している人がいる。これは非常に驚きで、非常に印象的でした。まさにシンセシスを論文にするということが、ここならできる。逆にいえば、一人ではできない、これは共同作業なのだということに気がつくわけです。実態的な行為を通じてシンセシスは論文になっていくというプロセスを、ここへ来た最初の年に確信するのですね。“本格研究”という言葉を発明したのはその1年後なのですが、まさにユニット構成が本格研究だったわけでしょう。それは、今から思えばすべてこの『シンセシオロジー』の背景をつくる一つの行為だったわけです。研究者のパッションをロジカルに表現する“場”小野 これまで論文を読んだ感想はいかがですか。矢部 『シンセシオロジー』では、我々は著者に「どうしてその研究がうまくいったのか、そこをちゃんと強調して書いてください。そこがみんなに訴えるところであり、共通の方法論に通じるのです」と申し上げています。それを著者も感じていただいて、かなりチャレンジングに、例えばここでは人との出会いが新しいものを生み出したので、人との出会いを中心に書いてみようなど、死の谷を越えることを体系化してくれるという面が出てきています。皆さんの激励で意欲的に書いてくれているのがすごくいいなと感じます。小野 赤松さんのおっしゃったように、ロジックは大切で、可能な限りロジカルに書く。しかし、矢部さんのおっしゃるように、チャレンジングな面があって、ロジックから少し外れたところもある。私は“パッション”と言ってしまうのですが、今までの科学研究は、我々研究者の知的な営みの一部しか切り出していないという感じがしているのです。私たちは「意思」、「意欲」、「情熱」、「望み」を持ちながら研究しているのですが、そういうものを一切排除したところでしかこれまで論文を書いてこなかった。研究者の知的営みを「総体」として表現し伝えたいという思いがありました。赤松 ロジックと言っても必ずしもパッションを排除することになるとは思っていません。むしろ、『シンセシオロジー』の論文の面白さは、どういうふうにロジックを組み立てて、何らかのゴールに向かっていくかという、読み物としての面白さであり、それが「書くことの大事さ」だと思うのです。吉川 弘之 氏
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