Vol.2 No.1 2009
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−76−Synthesiology Vol.2 No.1(2009)座談会:シンセシオロジー 創刊一周年を迎えて分野の研究論文を「読んでわかる自分」に驚いています。もちろん今でも他の分野の研究の解説や記事を読むことはありますが、他の分野の研究者が書いたオリジナルな研究論文を読んだことは今までありませんでした。学会に行っても、分科会が違えばわからない、分科会が同じでもセッションが違うと理解できないのですが、今回、他分野の研究論文を読んでみて「わかる自分」に驚きまして、「査読意見が言える自分」にはもっと驚きまして、その驚きがまた楽しみでもありました。このことは、『シンセシオロジー』で偶然発見したように見えるのですが、実は必然ではなかったのかという気が今しています。小林 私も他の分野の論文を読んで査読ができたということは、とても大きな驚きでした。これまで我々が何を目指しているかということをかなり議論し、共有し、積み上げてきたからこそ、そういうことができたと思うのです。一方で、著者の方が、投稿要領を見ながら非常に努力されていることが痛いほどよくわかります。ただ、私としては、第2種基礎研究はとにかく出口のほうに持っていけばいいというのではなくて、第1種基礎研究とは違うシンセシスのところの独自性というか、オリジナリティというか、まさに第2種基礎研究におけるシンセシスとは何なのか、というところをもっと考えていかなければいけないのだろうと思います。赤松 査読できるということは、ロジックを読もうとしているからだろうと思うのです。細かい実験方法などの部分は第1種基礎研究の論文としてすでに別のところで査読されているという前提で認めると、全体として何と何を組み合わせてこういう結論に持っていこうとしているのかという、ある種のロジックを読めばよいことになります。論理というものはサイエンスの根本にあるものです。デカルトまで戻るような話になりますが、近代科学が始まった時期とデカルトがいた時期はほとんど一緒でしたが、事実であるということをどのように知るかということをデカルトは考えていたわけです。科学的な方法論はそれが基礎になっていると思い体が非常に印象的で、感慨深いというのが私の率直な感想です。「書くことの大切さ」を再認識させてくれた赤松 ゼロからジャーナルを作ってきたわけですが、「論文とは何か」「学とは何か」ということを考える良い機会だったと思っています。既存のジャーナルであれば書くスタイルがもうできているわけですが、我々にはそのスタイルがなくて苦しみました。しかし、そのおかげで、「書く」ということを考え直し、そして、「書くことの大事さ」を改めて感じることができたと思うのです。我々は、第2種基礎研究について口頭でよく議論しますが、それをある長さの文章に「ちゃんと書く」ことが必要です。「ちゃんと書く」というのは、必要なことと十分なことを過不足なく表現することであって、それによって何が足りていて、何が足りないか見えてきます。査読をしながら、何が不足していて、何が過剰なのかということが少しずつわかってきたというのが私の印象です。産総研の死の谷を越える研究を“見える化”できる矢部 企業やマスコミを初め外の人たちに対して、「第2種基礎研究によって死の谷を越えることができます」といつも言ってきたのですが、ジャーナルによって外に対して“見える化”ができたというふうに思っています。第2種基礎研究、本格研究を外に対して初めてお見せすることができました。その一方、こういう成果を持っていろいろな企業を訪ねると、かなりインパクトがあります。中小企業の活性化に取り組んでいる産学官連携コーディネータがいろいろな機関にいらっしゃるのですが、「死の谷を越えるには、こういう技術のところで開発が必要なのです」と言うと、「お金さえあれば、死の谷を乗り越えられると思っていました」と驚かれるのです。我々が実際に説得できる形で、この1年間示せたということは大変大きなことだったというふうに思っています。査読とはロジックを読むこと小野 今4人の方がおっしゃったことは、私もほんとうに同感でして、そういう思いでやってきたな、と改めて感じます。個人的には、「科学とは何か」、「研究とは何か」、「研究者とは何か」、また産総研になってからは「本格研究とは何か」ということを考えてきましたが、『シンセシオロジー』がそれらの問いに対する答えだったのだ、という思いをしていますし、そしてとても成功していると思うのです。それから、予想もしていなかったことなのですが、他の赤松 幹之 氏
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