Vol.1 No.4 2008
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論説:構成的研究の方法論と学問体系(中島)−307 Synthesiology Vol.1 No.4(2008)(2)The train came out of the long tunnel into the snow country. これらを読んだ人達に情景を絵にさせると、日本語(1)の場合は汽車に乗っている乗客の視点から描いた絵(図2)になるのに対し、英語(2)の場合は汽車がトンネルから出てくるのを上空から描いた絵(図3)になるそうである。決して英語訳がまずいのではない。日本語のような視点からの記述も不可能ではないが、それでは自然な英語にならないのだ。続いて研究における視点の問題を扱いたい。あるシステムを研究するときに、その研究者はどこに位置しているかという問題である。自然科学の場合は明らかにシステムとは隔離されたところに研究者を置く(図4左)。システムの外にいて、外から観測をするという外部観測者の視点である。観測によってシステムの動作が影響を受けない、あるいは観測結果から観測行為の影響を除去する方法がわかっていることが理想である。それに対して図4右のように研究者がシステムの一部となっているのが内部観測者の視点である。市川[18]によれば、西洋では世界全体が無矛盾な規則で記述できる無矛盾世界観を持ち、その場合には神や憲法のようなシステムを超越した存在(図4左)を前提としている。それに対し、日本では集団ごとに異なる規則を容認する容矛盾世界観用語1を前提としている。ここでも英語と日本語の違いと同じものが観測されるのが面白い。言葉から思考が規定されているとしたら、我々日本人というのは構成学(Synthesiology)を世界に発信するには非常にふさわしい民族だということにならないだろうか。自然科学の守備範囲をまとめておく:・分析的方法論が適用できること -観測が対象に影響を与えないこと -あるいはその影響が計算可能であること(量子力 学の不確定性原理を含む)・客観性が保てること -外部観測者の視点をとれること -世界の無矛盾性が保てること内部観測者の視点というのは科学的には望ましくない状況ではあるが、そうならざるを得ない分野がある。構成的にシステムを造るというのはどうしても内部視点にならざるを得ない。後で触れるが、新しいシステムを構築する場合に、仕様をまず決め、それから設計図を書いて、最後にそれを実装すればよいという風には行かない。造ったシステムを使い、評価するというフェーズが必須であり、ここには研究者がシステムのユーザという形で含まれる。その意味で科学と工学は方法論が異なるのである。これを正しく認識することから構成的方法論の議論が始まる。構成的方法論を必要とする(後述するように、分析的方法論が不要という意味ではない)分野には以下のようなものが含まれる:・複雑系・(経済のような)マクロ・ミクロの相互作用の起こる系・(人間のような)多層システム・アモルファス。局所的には結晶に近いが、大局的に見ると不均質な系・(宇宙論、地質、進化論、歴史、考古学のように)実験不可能な1回限りの現象 案外多くの分野がこういう構成的な方法論を必要としているというのがわかる。4 構成のループ一般的には分析と構成は逆方向の行為だと考えられている。全体を部分に分割して、個々の部品と、部品どうしの関係を調べるのが分析である。逆に部品から全体を組上げるのが構成というわけである。これは機械を分解、再構築するという図式が念頭にあるように思うが、実際には構成的手法の出発点として部品が過不足なく揃っているということはありえない。部品の同定から始めなければならないのが構成である。しかも、構成したいものから部品を同定する作業は非常に困難であり、アルゴリズム的手法は存在しない。(61)−図4 システム外視点(左)とシステム内視点(右)図3 鳥の視点

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