Vol.1 No.4 2008
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論説:構成的研究の方法論と学問体系(中島)−306 Synthesiology Vol.1 No.4(2008)scienceのうちartでない部分だけが一般に科学と呼ばれている。吉川の「第1種基礎研究」はこの部分を指していると考えている。scienceとartのオーバーラップする部分が科学と技術の接点、すなわち「工学」ということになろう。あるいは吉川のいう第2種基礎研究もここに対応する。そして、artからscienceを抜いた部分が「芸術」と呼ばれる。ただ、一般には「工学」という言葉はここで定義したような意味で使われている場合は少なく、むしろ吉川のいうところの製品化研究に近い部分を指すことが多い。本稿で述べる構成の学はscienceとartの直交部分のための方法論である。本題に入る前にその準備として言語と思考の問題についてもう少し掘り下げておきたい。文化が認知に与える影響に関しては様々な研究がある[10][11]が、その言語版というべきものに、Sapir-Whorfの言語相対性仮説[12][13]がある。・Whorfの強い仮説(言語決定論):人間の思考は言語に規定される・Whorfの弱い仮説(言語相対論):概念の範疇化は言語・文化によって異なる これらは検証されたわけではないものの、私は結構(少なくとも言語相対論は)正しいと思っている。時空間の切り方まで言語によって規定されているというのがWhorfの主張である[13]。習慣的な思考および行動と言語との関係「時間」、「空間」、「質量」といった我々の概念は、実質的に同一の形の経験を通じてすべての人間に与えられているのだろうか。(参考文献[13]のp.102)哲学者や一部の科学者の中には、一元論的、全体論的、相対論的に現実を見ることに魅力を感じる人もいるが、…自然そのものがそのような考え方を受け入れないということではなくて…それらを語るためには新しい言語といってもよい位のものが必要になる(参考文献[13]のpp.126-127)ニュートン力学の空間、時間、物質というのは決して直観ではない。それらは文化と言語からの「類像」(recepts)である。ニュートンはそこからそれらを得たのである。(参考文献[13]のp.127)我々が赤ん坊で生まれたときに空間認識ができ上がっているわけではなくて、日本語あるいは英語の母語を覚える過程で区切りができてくるという主張である。最も有名なのは色の識別で、色をどこで分節化するかというのは、母国語にどういう色の名前があるかに依存するというのが心理学的に検証されている。それをニュートン力学の空間の概念まで広げようというのがWhorfの仮説である。Whorfほど過激でなくとも、言語の持つ構造が認知、特に科学的なものの見方に影響を与えていることは想像に難くない。本論と特に関係するのは、世界を「もの」として対象化して観るのか、あるいは「こと」として経験化するのかである。木村敏[14]はりんごを対象物、つまりりんごという「もの」として見るときには、自分と離れた存在として客体化するが、りんごが落ちる「こと」という言い方をするときには、自分がそれを経験しているということを含むと述べている。おそらくこれと関係するのだが、英語というのは名詞=体言中心の構文を持っており、日本語は動詞=用言中心の構文を持っている[15]。また、欧米においては名詞の獲得が動詞の獲得に先行するが、アジアの国々(中国)ではこのような傾向が見られない、あるいは逆転することが報告されている[16]。3 視点言語記述は世界を見る観点(自分の位置づけ)に密接に関係しているのだが、それを端的に表す例を紹介しておきたい。金谷は日本語と英語の視点の差に注目しており、・英語は神の視点・日本語は虫の視点から、それぞれ情景を記述していると主張している。金谷[17]はNHK教育テレビ「シリーズ日本語」で池上嘉彦が紹介した実験について触れている。川端康成の「雪国」は(1)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。という文で始まるが、これを川端の翻訳を多く手掛けている翻訳家 E.G. Seidensticker が英訳した文は以下のとおりである。(60)−図2 虫の視点

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