Vol.1 No.4 2008
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論説−305 Synthesiology Vol.1 No.4(2008)図1 科学と工学1 はじめに自然科学というのはデカルトの方法序説[1]以来様々な機会にその方法論が論じられてきた。自然科学が要求するのは客観性であり、その客観性を担保するためにポパーは「反証可能性」[2]を要求し、実験による反証が可能なものだけを科学的命題の対象と規定している。そのためには誰が実行しても同じ結果が得られるという、観測者を抜きにした系の設定が必要条件となる。すなわち、対象システムを観測者から分離できるという前提条件が無いと科学は成立しない。クーンのパラダイム論[3]は、そのような枠組みが固定ではなくパラダイムシフトとして変遷していることを指摘しているし、ポラーニイの暗黙知の理論[4]は自然科学が社会的営みであることに言及している。これらが、自然科学の絶対的地位に、ある意味の疑問を提示しているにもかかわらず、他の方法論、特に工学に関してはこれまでそういった議論は少なかった。ほぼ唯一の例外は吉川による一連の取り組み[5]-[8]であろう。筆者も高校・大学では自然科学の方法論を学んできたが、実は万能ではないと気づいたのは最近のことである[9]。自然科学の方法論の適用できる問題だけを研究するというのは、落し物をしたときに明かりの下しか探さないようなものである。世の中には科学の方法論に乗らない課題は多く、そういう部分をどのような方法論で研究していくかということを考えたい。それがSynthesiologyの主テーマであろう。工芸の世界では作家と作品を切り離すことはできない(自然科学の前提条件を満たさない)が、工学の分野でも、そこまで人には依存しないにしても、科学のように完全に分離できない面がある。ここでは吉川が第2種基礎研究と呼んでいるものを中心に、それは構成的な研究のことであるという主張をし、その学問体系としての方法論の定式化を試みる。2 言語と思考情報処理の研究者という立場から、その研究手法を基に構成学の方法論を考察したい。その際、言葉の問題が結構本質的であると考えているので、言葉にこだわって議論を進めたい。まず、「科学」について。英語では「science」という言葉があるが、これは日本語の「科学」には1対1に対応していない。英語のscienceとartは図1に示すようにオーバーラップした部分がある概念である。Scienceはscientia(=知識)を語源としており、対象に関する分類学のようなものが始まりである。一方artはars (=わざ・(職人的な)技術)を語源としており、日本語の技術に近いニュアンスがあるが、同時に芸術も包含する概念である。日本語では科学と芸術はオーバーラップしないだけではなく、ほぼ反義語のように使われることすらある。つまり、日本語では、分析的科学に関してはデカルトの方法序説、クーンのパラダイム論、ポパーの反証可能性の議論など様々な定式化がなされているが、Synthesiology(構成的な学問体系)に関してはいまだにそういったものが存在しない。ほぼ唯一の例外は吉川による一連の取り組みであろう。ここでは吉川が第2種基礎研究と呼んでいるものを中心に、それは構成的な研究のことであるという主張をし、その学問体系としての方法論の定式化を試みる。構成的研究の方法論と学問体系ー シンセシオロジーとはどういう学問か? ー中島 秀之公立はこだて未来大学 〒041-8655 函館市亀田中野町 116-2(59)−芸術ART工学科学SCIENCE

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