Vol.1 No.3 2008
60/81
論説:シンセシオロジー発刊について(大崎ほか)−226 Synthesiology Vol.1 No.3(2008)るには、ジャーナルの今後を見るより他ない。 一方で、いかなる研究であっても、普遍性をもつ主張を含んだ成果や研究プロセスであれば、それを文章化して公開することは十分な価値がある、と言えないだろうか。 [稲葉] 実用化研究の成果や研究プロセスに話題を限定せず、研究の苦労話を公表する開かれた機会としてとらえると、Synthesiologyの独自性と存在価値は主張できるのではないか。その意味では、基礎研究に重点を置いた国内最大規模の研究機関である産総研には、話題提供が可能な研究者が多いのではないか。 コンピュータ黎明期にvon Neumannが書いた有名な “First Draft of a Report on the EDVAC”[10]は、第2種基礎研究の論文、または当為的知識を記載した論文と言えるだろうか。当時のコンピュータ技術は機密情報の扱いを受けていた。特に、EDVACの前身であるENIACの詳細を明らかにする論文は少なかった[11]。Von Neumannの書いたその論文(草稿)は、当時の最先端技術を解説する技術文書というより、プログラム内蔵方式のコンピュータ(現在のコンピュータの原型)のアーキテクチャを、数学者としての視点で総合的に解説した学術論文に近い。実際に、プログラム内蔵型コンピュータの基本構成要素と基本演算の処理の流れについて、コンピュータ設計の技術的詳細に立ち入らず、普遍的であるが概念的な説明をしている。この“First Draft”とそれに続く数編のvon Neumann論文の影響により、1948年以降、世界各地にプログラム内蔵型コンピュータの誕生がもたらされ、標準的なコンピュータとして世界中に普及していく[12]。 Von Neumannの論文の例は、特殊な事例かも知れない。しかし、この例から次のような教訓が得られる。第2種基礎研究の成果を分析整理して再合成(analysis and synthesis)して得られた学術的考察は、当為的知識と事実的知識の境界が明確ではない。たとえ事実的知識のみから構成された論文であっても、論文に込められた著者の主観(subjective statement)は、にじみ出てきてしまうのである。 では当為的知識の論文とは、一体どのようなものだろうか。従来の科学論文は、事実の積み重ねのみにより結論を導く事実的知識の論文である。よって、主張の真偽は、特定の知識領域の上で判定可能である。 しかし、当為的知識には主観的な主張が含まれる。 “No ought from an is”(「である」から「べき」は導き出せない)の立場では、明かな誤りを除き、当為的知識の論文の主張は、妥当性や真偽さえも最終的な判断は読者に委ねられる。 一方、当為的知識と事実的知識は領域不可分であるという立場[13]では、当為的知識の論文とは、社会通念や価値観などを含む枠組みの中で、事実の積み重ねにより導き出された結論を述べる機会である。やはり、真偽や妥当性を判定しにくい部分が生じる可能性はある。 当為的知識や主観を掲載する論文に対する解釈がいずれの立場でも、多くの学術論文誌が避けようとした状況を受け入れて、ようやく当為的知識の論文は発表の機会を得る。Synthesiologyは、発刊の目的を達成するために、敢えて論文誌としては困難な状況を受け入れようと宣言している。こうした姿勢だけ見ても、論文誌としての独自性があるのではないか。 次に、扱う論文がさまざまな研究分野に及ぶ点について、査読プロセスの問題が指摘された。 [佐藤] 投稿された論文の査読については、多種多様な製品分野に関係した論文を対象とする。したがって、査読の質をどう均一化するのか、査読プロセスや結果をどう公平化するのか。 この点については、査読者と論文執筆者との議論が論文ごと最後に掲載されており、査読プロセスの透明性は確保されている。また、査読の質が保たれているかどうかは、その議論の内容を知ることによって確認することができる。さらに、客観的に検証可能な誤りは、査読プロセスで取り除かれるが、主観的な要素を含む主張(結論)の真偽や妥当性を(1)査読者はどうみるか、(2)最終的な判定を読者に委ねるか、などを伝えることができる。 新しいジャーナルが、独自の趣旨を掲げて論文を募集するというのは、傍目から見れば独善的かも知れない。しかし、その趣旨に賛同し、ジャーナルの存在価値を高めようとする人が、産総研外に多く生まれれば、Synthesiologyの背景にある産総研の理念も含め、ジャーナルとしての存在は正当化される。 [南] そのためには、ジャーナルとしての認知度を上げることが先なのか、それともジャーナル発刊の趣旨を理解してもらうことが先なのか。 ニワトリが先か、タマゴが先か、という議論には結論がない。むしろ、なぜ産総研では、基礎研究、応用研究、設計開発という分類ではなく、第1種基礎研究、第2種基礎研究、製品化研究と分類するのかなど、産総研が独自に提唱する概念をいかに定着させるかを考える方が、ジャーナルの議論より先かも知れない。 (57) −
元のページ