Vol.1 No.3 2008
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論説:シンセシオロジー発刊について(大崎ほか)−225 Synthesiology Vol.1 No.3(2008)則である。例えば、LSIの歩留(ぶどまり)向上技術に関する研究は、半導体企業では重要なテーマである。歩留とは一般に、原料の使用量に対する製造品の量の比率をいう。半導体分野では、生産したICチップやメモリーなど、製品の全数量の中に占める所定の性能を発揮する良品の比率を表す。通常は、歩留をある割合に設定して、製品価格を設定する。つまり、歩留が初期の割合より向上したら、その分は企業の利益につながる。 したがって、LSIの歩留向上技術に関する詳細は、半導体企業にとってはきわめて重要な情報である。企業の研究者や技術者が、歩留向上のためのアイデアや技術を提案できたとしても、それを研究成果として、学会を含め社外に公表できないことが一般的である。 一方、大学や公的な研究機関は、集積された知識を利用し、また普及させることによって科学技術の発展に寄与することを目指すのが原則である。ところが現実には、研究成果の詳細をあえて公表しないことがある。だれかに経済的損失を与えると予想できるような研究成果が得られた場合、大きな損失にならないよう対策を講じるために成果の公表を遅らせたり、公表を差し控えたりする。また、事業化を目的とする研究では、戦略的な理由により研究成果を公表しない。どうやってその成果を得たのか、その成果は再現可能なのか。研究の肝をあえて公表しないことで、同様に事業化を目指す競争相手に追随させないためである。 研究成果を特許という目に見える形で公開するという選択肢もある。実用化研究が一段落して、次の研究を開始する資金的余裕のある場合の選択肢である。しかし、およそ 2−3年と言われる審査期間を待てない場合には、研究成果の独占的利用権を与える契約(ライセンス契約)が有力な選択肢となる。この場合、少なくとも契約期間内は成果の詳細を公開しないことが契約条件となる。その結果、論文の材料が著しく減るので、外からは「研究は行ったが、成果は少ない」という評価が下されてしまう。 さらに、どこまで学術論文として公表するのか、という研究の取り分についての交渉や取り決めは、研究を開始する以前に行われる。研究のリーダーシップをとるものが、将来を見据えた抜け目ない交渉ができるかどうかによって、論文という成果物をどのくらい出せるかが大きく左右される。優れた研究成果でもイノベーションにつながらないといわれる「研究の日本型デスバレー」は、リーダーシップの育成の仕方に一因があると言われているが、リーダーシップのあり方1つで公開できる成果も大きく変わってくる。 第2種基礎研究の、特に、事業化や製品化を目指す研究では、実にさまざまな理由で、成果を公開できないことが分かる。しかし、Synthesiologyは、発言の場がなくて困っている研究者を助けようという発想ではない。研究者が他の研究者らに是非知っておいてもらいたいと前向きに思うことを論文という形で記録し、集積した知識を再構成して利用することが、このジャーナルの目的だと考える。 6 Synthesiologyへの期待と疑問 実用化研究の成果やその研究プロセスを発表する論文誌として、Synthesiologyの今後の動向に注目したい、という意見が討論会では多かった。一方、よい論文を掲載しようとする論文誌側の希望とは裏腹に、よい論文ほど既存の学会誌に流れて行ってしまうのではないか、という指摘があった。 [佐藤] (産総研外の人間として)論文を投稿する側の立場に立てば、質の高い論文ほど既存の著名な学会誌に投稿したいと考えるのが自然である。事業化や製品開発に関連する論文でも、ビジネスとしての新規性や製品としての優位性があれば論文として扱われるため、Synthesiologyだけが受け入れ先として優位になるとは限らない。 この問題は、新刊ジャーナルが抱える共通の問題である。Synthesiologyの場合、アポステリオリ(a posteriori)な知識から『構成』のための一定の法則や一般論を導こうとしている。したがって、構成のための学という観点で論文を評価されたいと考える研究者らを対象としている以上、既存の学会誌との棲み分けは可能である。またジャーナルは、こうした第2種基礎研究を学として確立するために貢献したいという研究者らにメッセージを発し続ける役目を担う。 一方、第4節でも指摘があった通り、研究・開発・製品化の一通りを行う企業の多くは、実用化研究の成果や研究開発プロセスについての記事を社内向け刊行物に掲載し、一般に公開している。産総研が新たに取り組むSynthesiologyでも同様に、実用化研究の成果や研究開発プロセスを、記事として手厚く取り上げようとしている。したがって、この点だけを強調してしまうと、企業の技報や社報との本質的な差異を見い出しにくくなる。 製品化を意識する以前からの基礎研究にもとづく、研究プロセスを論じた論文は、企業の技報や社報の記事とは、本質的な違いがあるはずである。また仮に、Synthesiologyに掲載される論文の多くが産総研内からの投稿であっても、学会と社会との板挟みにある研究者が、いかなる思考プロセスをもち、いかに研究を昇華させていくのかという記事であれば、産総研以外からも多くの共感が得られるはずである。 いずれにせよ、新ジャーナルの浮沈についての結論を得(56) −
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