Vol.1 No.3 2008
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研究論文−201 Synthesiology Vol.1 No.3(2008)1 はじめに 水は密度の基準として古くから用いられてきた。現在、質量の基準として用いられている国際キログラム原器も元々は18世紀末に製作されたメートル原器に基づいて測られた1リットルの水の質量を基準として決められたものである[1]。国際単位系(SI)[2]において密度の単位(kg/m3)はSI基本単位である質量の単位キログラム(kg)と長さの単位メートル(m)から構成されるSI組立単位で表される。国際単位系の定義に従って密度を計測するためには質量と長さの標準(standard)があれば十分であり、新たに密度の標準を設定する必要はないように思われるかもしれない。しかし、密度という物理量を測るために質量と長さの絶対測定から始めることは大掛かりな計測設備を要するため極めて困難であり、それよりもむしろ密度の絶対値があらかじめ計測された物質の密度を基準として未知の物質の密度を相対測定する方がはるかに容易である。このため誰もが入手でき、かつ、密度の再現性が高い物質について、あらかじめ密度の絶対値を計測しておき、この物質の密度を基準として未知の物質の密度を相対測定する方法が一般に用いられる。このとき密度の基準となる物質のことを密度標準物質と呼ぶ[3][4]。 水は最も早くから用いられてきた密度標準物質であり、他の物質の密度や体積、内容積を求めるために広く用いられてきた。その密度は1890年代から1910年にかけて国際度量衡局(BIPM)[5]で最初に絶対測定されたが、この測定は同位体(isotope)が発見される以前に行われたため、水の同位体組成の不確かさに起因する問題が残されていた。このため同位体組成が明確な水の密度の絶対値を 1×10−6よりも小さい相対合成標準不確かさで再測定することが国際純正応用科学連合(IUPAC)をはじめとするいくつかの国際機関から勧告され、これをうけてオーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)[6]と我が国の産総研計量標準総合センター(NMIJ、当時は工業技術院計量研究所)[7]では標準平均海水(standard mean ocean water: SMOW)[8]に等しい同位体組成を有する化学的に純粋な水の密度の絶対測定を1990年代に行った。オーストラリアと我が国において独立した絶対測定結果が得られたが、両者の値には不確かさを上回る 2.1×10−6の相対的な隔たりがあったため、国際度量衡委員会(CIPM)質量関連量諮問委員会(CCM)の密度作業部会(WGD)において両者のデータは解析され、4 ℃、101.325 kPaにおけるSMOWの密度を999.9749(8) kg/m3とする0~40 ℃の範囲の推奨値が決められた[9]。括弧内の数値は最後の桁の拡張不確かさ(k = 2)を表す。この値は現在、国際推奨値として広く用いられている。しかし、水の密度は溶解ガスの影響や同位体組成の変動によっても変化するため、正しい値を得るためには実際の使用状況に応じた幾つかの補正が必要になる。 水の他に水銀も密度の基準として用いられてきた。水銀の密度は、圧力標準の設定を目的として1957年および1961年に英国物理研究所(NPL)[10][11]で絶対測定された。これらの測定の平均値を現在の温度目盛であるITS-90に換算すると、20.000 ℃、101.325 kPaにおける密度は13 545.854(3) kg/m3である[12]。測定の相対合成標準不確かさは 0.2×10−6であると報告されているが、同位体組成の違い等により、原産地の異なる水銀試料の密度は最大で 1.7×10−6の相対偏差がある。このため、値付けされていない水銀の密度の相対合成標準不確かさは 1×10−6よりも大きいと考えられている[13]。水銀の密度の不確かさは、圧力標準[14]の設定に大きな影響を与えるだけではなく、球形共振研究論文物質の密度、あるいは、体積や内容積、濃度といった物理量を計測するための基準として従来は水が広く用いられていた。密度だけではなく比熱や表面張力など他の物性の基準としても水が用いられることが多い。しかし、水の密度はその同位体組成に依存して変化したり、溶解ガスの影響を受けるため、1970年代からはシリコン単結晶など密度の安定な固体材料を基準として密度を計測することが検討されるようになり、特に最近では計測のトレーサビリティを確保し、製品の信頼性を向上させるために、より高精度な密度計測技術が産業界からも求められるようになってきた。このような背景から産総研では密度標準物質としてシリコン単結晶を用い、従来よりも高精度な密度標準体系を整備した。密度の基準を液体から固体にシフトすることは、単なる精度向上にとどまらず、薄膜のための新たな材料評価技術や次世代の計量標準技術の開発を促すものである。水に代わる密度標準の確立ー シリコン単結晶を頂点とする密度のトレーサビリティ体系 ー藤井 賢一産業技術総合研究所 計測標準研究部門 〒305-8563 つくば市梅園1-1-1 つくば中央第3 産総研つくばセンター E-mail:fujii.kenichi@aist.go.jp(32)−
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