Vol.1 No.2 2008
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−153 Synthesiology Vol.1 No.2(2008)座談会:新しい形式の論文を査読してたかという、最初に我々が考えていたようなやり方で書いてくれる人もあったし、一方で、特にバイオ分野は1つの要素技術が圧倒的に重要で、そこを突破したがゆえに次の段階に進めて、そこに進むときにほかの要素技術も必要になったので、主・従という言い方をすれば、従としての要素技術を後から付けて「製品」にしたという書き方をする人もいましたね。五十嵐 シナリオをバックキャスト的に見ているところもあって、本当にフォアキャストで、執筆者が研究をするときに、ここの論文に書いたシナリオを頭に描いてずっとやってきたかというとそんなことはなくて、あるところに行っては突き当たり、ちょっと脇道にそれ、そこを解決してまた進み出す。一筆書き的にみればそのように見えるかもしれませんが、大きな流れで見ると方向性はたぶんシナリオに書かれたようなものにおさまっているんだろうなと思いますね。それから、ジャーナルのアピール性ですが、1つ1つの中身は決して悪くないけれども、査読者から見ると、主たるところにポイントを書いてもらったほうがいいのではないかという思いがある。ところが、査読者も三者三様の意見が出てきて、これって、この先、どうすれば良いか(笑)。委員長に、最終的に「こうだ」と決めていただければそれでいいのかもしれませんが。持丸 複数の査読者がいるわけですし、著者の立場からいうと、査読者からのコメントがコンフリクトしていると、「どうしたらいいんだ」ということになりますね。査読者の中にプリンシパルな人がいて、その人がほかの査読者の意見も聞きながら、最後は調整してくれるといいなという気がします。普通のジャーナルに投稿すると、「査読者は自分の論文の生殺与奪の権利を持っている人だ」と著者は思っているわけです。基本的には、査読者には迎合するというのが、現実的な問題としてあるわけです(笑)。査読者が何か言っているから、それに合わせれば論文になるという思いが著者にあるので、そこも徐々に変えていかなくてはいけないですね。小林 今は、査読者は著者も知っている、かつディスカッションもしているからいいのですけれども、今後は、外から投稿があって、知らない人の論文を我々が査読しなければいけない。また将来的に、査読者を外の方にもお願いするようになると、そのあたりをきちんとルール化しておく必要があるでしょうね。持丸さんがおっしゃるように、最後はプリンシパルな査読者が査読の意見をまとめるという形にしたほうがいいような気がしますね。赤松 執筆要件でいうと、「成果ってなんだろう」というところが一番難しいと思うんです。「成果」というと、今までのくせで第1種基礎研究的な成果を思わず書いてしまうのだけれども、それがこの論文誌における論文で主張する成果かというとはなはだ疑問というか、そこはちゃんと考えないといけない。具体的にはまだ明確には言えないのだけれども、構成学としての成果は何なのかということを書くべきなんでしょうね。 持丸 「学術雑誌としての意義」ということでもあるのですが、今回、ジャーナルという手段で構成学を蓄積していこうということですね。赤松さんが「論文は1つ1つの構成学の事例のアーカイブで、そのアーカイブの中から構成学がだんだんできていくだろう」と書いておられましたが、ジャーナルを編集する側から見ると、放っておいて自動的にできるものではなく、積極的に取り組まなくてはいけないですね。 小野 構成の手法の新しさはもちろんあるんですけれども、それの一般化にはまだ遠いのではないかと思っていて、第2種的な成果の高さがあるんじゃないか。社会へ出ていくところでの「製品」のレベルの高さ、どのくらい役に立ったかということに、私は、こだわりたいなと思うところがあるんですね。 赤松 何をもって第1種、第2種とするか、その区別は微妙なところはあるのですが、1つ大事なことは、第1種基礎研究から第2種基礎研究にステップアップする人たちの営みを価値付けるということだと思うんです。第1種基礎研究をやっている人たちが第2種基礎研究に移っていくところをエンカレッジする道筋をつける。『シンセシオロジー』に論文として書いて、こうやったら第1種基礎研究から第2種基礎研究に移れる、というよう小林 直人 氏(72)−
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