Vol.1 No.2 2008
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−152 Synthesiology Vol.1 No.2(2008)座談会:新しい形式の論文を査読して発展可能な社会に向けて、これがどうつながるのかというシナリオが書けるのではないですか」と言ったんですが、そこは書けないということで、とりあえずここまでということになりました。シナリオは、吉川理事長がおっしゃるように「仮説の連鎖」になるわけですけれども、どこまで仮説を言っていいのかという、研究者の逡巡みたいなものがあるじゃないですか(笑)。だけど、まさに21世紀のこういう時代には、読者からすれば、著者に俯瞰的なビューを見せてほしいということもあるわけですね、そこは、できるだけ頑張ってほしいなという部分はありますね。小野 シナリオは研究グループの中では議論していると思うんです。シナリオを議論せずして、研究グループはまとまっていけませんからね。しかし、それは外に出てこない。それを今回外に出そうとしていることなのかなと思うんです。今までどうして出てこなかったかというと、手段がなかったということもあるのですが、出すと盗まれるというんでしょうか、そういう手法あるいは考え方というのは、研究者や研究グループの財産ですから。今回著者は、ある意味、頭の中の構造を全部ぶちまけてくれたわけで、それが世の中のためにはなるんだけれども、そこまでしてくれて著者にとって損失になっていないかという若干の懸念はありましたね。持丸 小野さんのご心配と赤松さんの意見は、著者の私にとってはまさしくそのとおりで、書くことによって改めて自分の中で形式知にしてみて気づくことはあります。「このときとった手段は果たして最適だったのか」ということは、書くとわかるのですね。それから、具体的な事例をどこまで一般化できるかということですが、これはなかなか勇気を持って論文の中に書けないです。査読者に「どうなのよ」ときいてもらえると、そこでまた少し書けるようなところがあって、私の論文では、最後にそれが査読者とのやりとりの中に書かれています。この辺は、査読者の1つの重要なアドバイスでした。そういう意味では、自分の頭の中をぶちまけることでもありながら、それを構造化することで書いた人にも必ずプラスになっている、私はそんな気がしました。湯元 シナリオ性というところでは、バイオテクノロジーというのは少し違う部分があって、「シナリオありき」というよりも、1つのブレークスルーを核に見せていく。研究のねらいといっても、ダイレクトに真ん中をねらうというよりも、散弾銃のようにその周囲をねらってやっていると、何かブレークスルーがあるはずだと考えるスタイルです。未成熟な領域ですから、「最初から、そういうシナリオでやっていたんですか」と言われるとつらい部分があるんですね(笑)。我々は既存のジャーナルで、さもそれを最初からねらったように書くということをやってきたわけですけれども、将来のシナリオをあまりに具体化してしまうと、特許が出願できなくなるところもあり、非常に苦しい部分があります。赤松 そこがオリジナリティの議論ということになると思うんです。今までの第1種基礎研究のオリジナリティは「個別の要素の新しさ」だったわけですが、それを汲み上げるのは別の人がやっていたわけですね。本格研究的の観点からみると、それが科学技術の社会への展開を遅らせていたと考えられます。つまり、個別要素の新規性だけで研究者の価値を評価していたこと自体に実は問題があるのではないか。今まで、それを秘密だといい、人から盗まれないようにしているものは、それをつくり出したプロセスみたいなもので、それを秘匿することは、社会でその成果が使われるためのドライビングフォースを弱めることになっているのではないかと思うんです。何を言いたいかというと、知識というのは、結局、だれかによってそれを次に援用してもらわなければならないわけですね。そのとき、ある構成されたプロセスをオープンにすることによって、次の人が次のプロセスに進みやすくなる。それが知としての価値の1つだろうと。そこで、そのある構成のステップをオリジナリティとして見なすべきだろうと思うんです。 執筆要件は合理的に書かれていたか小林 そうですね。今の赤松さんのお話は、執筆要件のかなり具体的な話に入っていますが、「研究目標の設定」「シナリオの提示」「要素技術の選択」「それらの組み合わせ」「評価」は合理的に書かれていたかどうか、プラクティカルなところも含めていかがですか。小野 著者によって相当違っていましたね。要素技術を対等な形で並べて最初に見せて、それをどういうふうにし湯元 昇 氏(71)−
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