Vol.1 No.2 2008
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−151 Synthesiology Vol.1 No.2(2008)座談会:新しい形式の論文を査読してした。もう1つは、湯元さんも言われていたオリジナリティですが、私の場合、たまたまわりと専門が近い分野の人だったのでわかるのですけれども、そうでない人のときに、要素技術は完全にオリジナルではないけれども、構成方法のところでオリジナリティがあるのだというあたりは、なかなか判断が難しいかなという気はしています。これまでの論文誌の査読者はあるディシプリンから見て、この知識が本当に新しいのかということを見るわけです。しかし、我々はそれが何の役に立つのか、という部分を見ているので、査読者の役割がこれまでと相当違っているのかなという印象がありましたね。では、次に、著者が論文でアピールしたかったことがうまく表現されていたと思われますか。読者から見たときに、役に立ったのか、面白かったのか、今後、どんなことがもっと必要なのか、そのあたりはいかがでしょうか。論文が役立つということ五十嵐 読者が「この論文が役に立った」と思うのは、まず、このジャーナルが求めているシナリオ性が役に立った、次に、内容的にこれまで第1種基礎研究では書き切れていなかったものがそれなりに書かれていて、技術的な内容で役に立った、もう1つは、産総研全体がこういう新たな動きをしているという、広い意味での役に立ったというという、大きく考えると3つくらいあると思うのです。私は2つ査読させていただきましたが、シナリオの部分は非常に役に立つ形で展開されていると思います。持丸 実は、私は『シンセシオロジー』がどんなふうにアナウンスされているのかよく把握していなかったんですが、突然、共同研究先の複数の人から「読んでみたい」と言われて、創刊号のコピーを渡しました。彼らは何らかの手段で「産総研がこれを出した」というのを知ったのだと思うんですが、読んだ人から「あなたの論文が出ているね」「わりとおもしろいね」という話をいただきました。メガネ屋とは関係ない人たちです。赤松さんが言われたように、査読者が読者代表みたいな感じになって、幅広い人にいかに意図を伝えるかというアドバイスをしていることを考えると、読者受けをねらうという意味ではなくて、意図が伝わっているかどうかを確認していく作業はどこかで必要ではないかという気がするんですね。私からの提案なんですが「指定読者」を、ずっと固定でなくてもいいですが、用意して、その方にしっかりコメントをいただくことをしてみてはどうかなという気がします。我々査読者も含めて、意図が果たして伝わっているのかどうかというのを、段階的に我々は確認していくべきだと思いますね。赤松 先ほど五十嵐さんの言われた「シナリオ性」は、ほかの分野の人にわかってもらえるかということはすごく大きい要素だと思いますね。もう1つは、その分野の研究者のために役に立つことになっているかですね。第2種基礎研究の基礎をやっている人たちが、ある種の暗黙知というか、自分の中で何となく考えて、きっとこれが大事だろうというふうに研究を進めていたものを、論文の形にして 「なぜ、それをしたのか」という議論をすることによって、形式知化していくのではないかという期待があるわけです。こういう議論をすることによって、自分の中のロジックが実は正しくなかったということに気づく可能性もある。同一分野の人たちにとって、研究の次のステップに進むときに、どういうふうな考え方で次の条件を決めてやってよいのか、どこの部分にターゲットを持っていったらよいのか、ということが見えてくる。この間の著者座談会ではポジティブな意見しか出ていませんでしたが、この論文を書いて、自分でやばいと思ったり、ここが足りなかったなとか、そういう自分の研究に対する「気づき」が出てきてもいいのかなと思ったりしますけど、そうなると、覆面でやらなければいけないかもしれませんね(笑)。小野 著者の皆さんは、それぞれ感じていると私は思いますよ。今までの第1種基礎研究は、完結したお話で100 %の完成度で書いているんですけれども、このジャーナルでは100 %の完成度のものは出せないと思うんです。「当初の目標はここなんだけれども、ここまでしかいっていない」ということに多分なって、そういう不完全な論文は、我々はこれまで書いてこなかった。それでもいいんだというところを受け入れた著者と、受け入れがたくて書けなかった著者がいるのかなという気はちょっとしているんですけどね。小林 同様なことを私も感じまして、ある方に「持続的赤松 幹之 氏(70)−
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