Vol.1 No.1 2008
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−70−座談会:新しい形式の論文を執筆してSynthesiology Vol.1 No.1(2008)を私は誇りに思っています。今でも産業界への波及効果は非常に大きなものがありますので、そこもオリジナリティの一つだと思うし、産総研として、これからどこに向かおうとしているのかということをアピールしたつもりです。岸本 私は、社会科学系で(産総研に)入って、各種のリスク評価の結果を使って安全環境対策の評価や費用対効果の評価をしようと思っていたのですが、そのままリスク評価の方まで踏み込んでいったという側面が強いです。ユーザの側からリスク評価をやってみるという事例は、私以外になかなかないと思うし、検討の結果も、あまり見たことがないパターンだと考えています。解説ではまったくないし、むしろ「異議申し立て」というか、新しい提案のような形になっていると思っています。 小野 産総研の化学物質リスク管理研究センターからは、『詳細リスク評価書』という大変立派な本が出ています。それと今回の論文はどう違うのでしょうか。サマリーという位置づけになりますか。岸本 サマリーではないです。評価書はリスク評価を実際に進めていく手順に近い形で書かれていますが、新ジャーナルは、むしろ「なぜそういう手順になったか」というところを書いています。今回、初めからそういう目的でリスク評価をしたような書きぶりになっているのですが、後知恵的な面もありまして、リスク評価書をつくっているときにはあまり意識になかったことを、今回改めて意識的に自分のやったことを確かめていくような側面もありました。漠然と考えていたことをまとめるすごくいい機会だったと思います。持丸 解説は、あくまでもあるメッセージに絞って、発想のおもしろさを伝える。新ジャーナルでは、そうではなくて、研究プロセスをしっかりアーカイブして、それをジャーナルとしてためていくことでメタな研究論がいずれ構成できるのではないか、そこの違いだと思います。今回はなぜそういう技術をつくっていったのか、それをどうやって選択したのかを書くのだから、奇をてらうより、素直に、論理的な順番の中でどうやっておもしろさを伝えるかに腐心するべきだろうと考えました。他の人が書けるのか、というと、私たちでなければ書けなかったと思います。それはどうやってその方法を選んだのか、どういう考えでそれを組み立てていったのかということです。これは初めて書いた部分です。 石井 普通の論文は、何かして、そこでいいことが起きて、これはいいのだ、というスタンスで書くのが一般的ですが、今回は、A、B、Cというチョイスがあって、Bが選択されたけれども、Aではなぜ良くないのか、Cをなぜ選択しないのか、というところをかなり丁寧に書いています。解説や技術論文とは圧倒的に違う書き方をしていると思います。オリジナリティということでは、自分以外の人が書けるかといったら、書けないだろうと思います。それは研究論文や報告として外に出しているものを束ねたのではなく、どういうことを考えてきたかということが書かれているからです。ただ、一点、私個人の名前で書く単著の論文なのかということですね。標準化の話や、いわゆる研究開発の周りにあることもかなり拾って書いているので、個人名をあげろと言われるとなかなか難しいのですが、ちょっと気になる感じもあります。赤松 第1種基礎研究の場合は、成果に対するオリジナリティだけれども、考え方に対するオリジナリティみたいなところがあるので、その考えのもととなるものは人のものを使っていることがあるわけですね。その人を取り込むべきなのか、それとも考えたということが自分自身のオリジナリティだったら、単著でもいいと考えることもできます。なぜ、そういうふうに考えたか、というオリジナリティが意識されていることが大切ですね。内藤 今回、第1号の著者と編集委員が協力しながら雑誌をつくるという意味で、非常に大きな作業を著者にお願いしたと思って、感謝しています。きょうのお話や論文を読んで感じたのは、岸本さんは「消費者の視点」という観点で見たときにリスク評価が変わった。持丸さんも「消費者の視点」という形で技術をもう一岸本 充生 氏

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