Vol.1 No.1 2008
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論説:科学と社会あるいは研究機関と学術雑誌(赤松ほか)Synthesiology Vol.1 No.1(2008)−63−は、十分な量の知識が蓄積されることは当然として、綿密な分類体系のなかに事実を整理する必要があった。そのためこうした要素主義は知識の細分化を伴い、その結果、知識の集積の場である学術ジャーナルも分割された自然の領域ごとに必要となっていった。19世紀には、科学分野別の学会が成立し、その分野ごとの学術ジャーナルが相次いで刊行されるに至った背景には、ベーコン流の知識分類体系が厳として存在していたのである。真理を追究するためには、対象を要素に分けて研究することになり、自然哲学としての本来の目的である全体知から遠ざかることになる。我々にとって耳慣れた科学者=Scientistという言葉は、19世紀にイギリスの知識人ヒューエルによって作られた。「知」を意味するScientiaというラテン語と、特殊技能を持つ者という意味のギリシャ語であるistと組合せた語である。哲学者のように全体知を目指す人達とは違って専門のことしか分らない知識人という意味を持つ呼称であるが、結局は自然科学者達に受け入れられ、現在に至っている。専門のことが分っていれば良いという科学技術研究者にしばしば見られる態度には長い歴史があるのである。細分化されてしまった科学の研究は、その要素によって構成される全体に対して、ごく一部しか担わないことになる。しかしながら、研究者はその要素が全体における本質的な要素であると信じて研究を進めている。しかし、構成要素が多くなればなるほど、個別要素の研究が社会への貢献につながるまでには長い道のりがあるように思われる。7 科学の知の統合 科学の還元論的方法論に従うならば知の細分化は避けられなかったと同時に、研究のオリジナリティの獲得、言い換えれば研究能力の証の獲得のために、対象の細分化が推し進められた面もあろう。ジャーナルに投稿する論文のオリジナリティを確保するためには新しい知を主張しなければならないが、それは対象を細分化することでもある。自己の研究能力を示すために多くの論文をジャーナルに投稿するという科学者の社会的行動の力も加わり、科学は細分化の道を辿っていった。 一方、17世紀において、細分化とは反対の意味を持つ体系(system)という語も使われるようになった。しかしながら、ここでの知識の体系とは、いかにきれいに分類またカテゴリー化できるかというものであり、理解のために知をどこに位置付けるかという、ベーコンによって推賞された分類による理解であるといえる(図3)。何も整理されていない知を全体として理解することは難しいが、大分類Iに属する中分類Aの中の小分類βであると整理することで知として理解することができる。 知を体系付けることによって理解の手助けになるが、ここでの理解とは位置づけを理解することである(図4)。しかしながら、体系化による知の理解も結局のところ細分化の上での理解でしかなく、科学的知識を社会へ役立てるための架け橋とはならなかった。事象の分類・整理は、同質のものを集めることであり、事象間の関係を明らかにしてくれるものではない。人や社会に働きかけるものを創造するためには、事実や事象を関係づけ、統合・構成していかなければならない。しかしながら、そのための、「有益な知」を得る、または「知を有益化」するための活動については、これまでの科学の歴史を概観したところで、ほとんど何も教えてはくれない。自然科学が追い求めてきた知とは、自然に関する事実の知識であり、事実的知識に対する科学の基本的な方法論が還元論的要素分解であった。事実的知識の理解は、それが 「何であるか」という理解であって、「何ができるか」という機能的・構成的理解ではない。科学的知識が社会に貢献できるためには知識によって何ができるかが理解される必要があるにもかかわらず、要素分解的に事実を追求するプロセスにおいては事象の持つある特定の機能的側面にしたがって要素分解が行なわれることから、事象がどのような機能的・構成的側面を持っているかが科学的知識の形で蓄積されることはなかった。 事象の持つ機能的・構成的側面は多様であることから、それを知識とする作業においては、期待や思い込みなどがおきかねない。製品化事例をみれば分かるように、しばしば成功物語として美化されてしまい、事実としての統合や図3 ウォーム博物館の内部[14]17世紀のコペンハーゲンの医師ウォームによって作られた博物館。動物の剥製だけでなく、道具類また石器などの人工物も蒐集してある。一見すると雑多に並べられているが、実際にはウォームの考えに基づいてカテゴリーに分類されている。
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