Vol.1 No.1 2008
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論説:科学と社会あるいは研究機関と学術雑誌(赤松ほか)Synthesiology Vol.1 No.1(2008)−62−実践する場としてのジャーナルの発刊であった。 印刷技術はグーテンベルグによって15世紀に発明が行われたが、次第に広まり、17世紀までは書物が科学的な知識の伝達の媒体であった。一方、雑誌という伝達媒体は、書籍の出版情報誌である『ジュルナル』が17世紀にパリで発刊されたのが始まりである。一冊で完結している書籍ではなく、様々な知見を定期的に集積する雑誌という印刷媒体が、世界中で行われている科学者の研究成果を知識として蓄積する最も適切な媒体であるとオルデンバームは考えたのである。5 ピアレビュー制度とオリジナリティ 現在の学術ジャーナルで論文掲載の可否を決定するための査読制度(ピアレビュー:同業者による審査制度)は、すでに王立協会紀要で取り入れられた制度である。会員の興味をそそりそうな報告はオルデンバームによって選択されていたが、紀要に掲載するためには一部の会員の承諾がないと掲載されなかった。これは、オルデンバーム自身が自然科学者ではなかったことも影響しているかもしれないが、いまでいうところのエセ科学やオカルト的な内容のものや、実際には見てもいない奇妙な生物の噂話なども報告として送られていたことから、これらの報告の信憑性を判断するためであったと思われる。 このように、ジャーナルという形態をとった自然哲学は査読制度も導入することで、アリストテレスの自然学の遺産とそこからの命題論理学による推論によって真理を求めた、それまでのスコラ哲学とは異なる知識獲得の形態を帯びていた。「論証的な正当性」ではなく、まずは「経験的事実」であることを重視する態度が、自然哲学の基本的な態度となった。しかしながら、それと同時にピアレビュー制度は、レビューワーに理解できないものは掲載されないという、一種保守的で権威主義的な面を持たざるを得なかったことも忘れてはならない。 科学ジャーナルによって導入され、今でも研究という営みに大きな影響を与えているもう一つのものは、発見・発明の先取性である。定期的に発行されるジャーナルによって、発見・発明が報告された時点にタイムスタンプを押すことになった。ルネッサンス期からオリジナリティという考えがでてきたが、オリジン=起源という語から、オリジナリティ=独創性という個人の能力をさす意味になったことは、ルネッサンス期の個人主義への変化を良く表しているといえよう。しかし、当時はタイムスタンプを押す手だてがなく、剽窃か否かの論争が多くなされていた。そして、17世紀に発刊されるようになったジャーナルに研究が掲載されることで発見・発明の先取性が明確になり、その科学者個人の研究能力の証(あかし)とされることになった。このことは、個人主義の現れとみることができる一方で、科学者の雇用形態とも大きく関係があったと思われる。先に述べたように、一部の科学者は科学アカデミーによって雇用されていたり、大学の教授職をもっていたが、多くは貴族などをパトロンに得て生計を立てていた。ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチ、近代のケプラーやガリレオもパトロンに支えられていた。したがって、自分がいかに科学者として能力があるかを示すことが、良いパトロンを見つけることにつながったのであろう。 学術ジャーナルは、人類全体のための福利のために自然に関わる科学的知識を集積する場とする、という集団主義な目的で始められながら、オリジナリティという個人主義的さらは利己的な面も持つことになり、ある種の矛盾を抱えたものとなった。6 科学の知識の細分化の道ロンドン王立協会紀要の話に戻ると、王立協会の事務局長であったオルデンバームは、協会での口頭発表を筆記して論文として紀要に掲載しただけでなく、世界中から送られてくる発見や発明の報告を英語に翻訳して掲載した。オルデンバームはドイツ人であるが、王立教会の事務局長の職に就く前には、イギリス貴族の家庭教師として子息の見聞を広めるために欧州大陸を旅行するグランドツアーに同行する仕事をして、ヨーロッパ全土に人脈を作りあげていた。王立教会の事務局長となってから、彼の堪能な語学とこの人脈のおかげで、様々な自然科学の発見と発明を集めることができ、ジャーナルを成り立たせていたのである。当時の王立協会の紀要の記事をみると、どこかで発見された植物の話、レンズの作り方、木星の話など、特定分野に限定されたものではなかった。現代の我々からすると、これだけの幅広い内容に眼を通し、翻訳することができたオルデンバームの能力は驚嘆に値する。しかしながら、そもそも「知」とは本来は全体知を意味しており、自然科学は自然の真理を理解するための学問であることから、自然の営みを全体として理解するためには、様々な自然現象を扱うのが当然であった。ベーコンは先に挙げた著書のなかで、単に事実を集めればよいと考えていたわけではなかった。存在者・不在者のリストをつくり、対象は綿密に調べては分類する姿勢が推賞された。彼のこの情報分類システムは自然界の分割を結果的に招来し、科学知識の専門分化を促すものであった。自然現象をもっとも単純な要素にまで分解する、この知のシステムでは不可避的に要素還元論の性格を帯びる。還元された要素について成立する法則や理論を解明するために

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