Vol.1 No.1 2008
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論説:科学と社会あるいは研究機関と学術雑誌(赤松ほか)Synthesiology Vol.1 No.1(2008)−60−観測が不可欠であった。エジプトではパピルスに残された断片から死体処理および防腐技術が用いられていたことが分る。そしてピラミッドの建造においては他に比類のない高度な測量技術を披瀝した。初期のどの文明においても基幹技術として金属精錬の技術である冶金学が確立していた。当然のことながら軍事関連の技術については、古代より盛んであり、アルキメデスの開発したクレーンや投石機はローマとシチリアの戦闘で用いられ成功を博したし、諸葛孔明は指南車を考案して魏軍を脅かしたことが記録されている。このように古代の科学技術は国家的な必要性と緊密に結びついてことが分る。換言するならば、国家にとって有用な知識のみが育成され制度化されていた。 近代以前の科学技術はその起源を求めれば大抵は偶発的なものであり、有用な知識を新たに得るための研究体制は薬草をもとめる本草学などの一部の例外を除いて整っていなかった。すなわち有用な科学知識はあっても、それらを組織的、系統的に獲得するためのシステムは存在していなかった。そして、中世においては、これらの古代の遺産を継承し保存することに終始した。 近代において、科学的知識が人間生活の益をもたらすという考えは哲学者フラシス・ベーコン(1561-1626)に始まる。1620年に書かれた『ノヴム・オルガーヌム』において、科学研究のもつ公益性や変革性、また人間生活に対する効果を主張し、技術や職人のもつ知識の有益性も強調した。1627年に書かれた『ニュー・アトランティス』というユートピア小説において、ベーコンは科学者が集まって研究を行う「ソロモンの家」なる国立研究所を構想し、知識は権力の拡大に貢献することをうたい、ひいては自然哲学によって人間帝国の領域が拡大できることを主張した。ここに現代に至る社会貢献を目的とした科学技術の思想が胚胎する。 では、このような自然科学の社会貢献の思想はどこから来たのであろうか。今で言う所の科学は当時は自然哲学と呼ばれており、神学、人文学とともに哲学すなわち知を獲得する学問の一つとみなされていた。そして、自然は神が創造したものであることから、神の創造した自然を知ることは神の行いを知ることであり、自然は第2の聖書とみなされていた。自然哲学において、自然を知り、神を知ることは、全人類に幸福を与えるものである、というキリスト教的博愛主義が根底にあったといえよう。ガリレオの地動説に対する宗教裁判という出来事から、科学と宗教は対立関係にあったと思いがちであるが、ベーコンの思想においては自然哲学すなわち自然科学は神を知るための営みだったのである。 もう一つベーコンの思想が科学に与えた大きな影響を忘れてはならない。ベーコンは一般原理から推論する演繹主義は偏見や先入観などの誤謬(イドラ)に陥りやすいとして、事実の観察に基づいて原理に到達する帰納法であるべきと主張した(経験論)。それゆえ、自然哲学を推し進めたのであるが、それとともに、観察や実験から得られた事実の蓄積が自然の中に隠されている原理を明らかにする、という考え方が科学の基本的な方法論となっていったのである。3 学会や科学アカデミーの設立近代科学の確立を見た17世紀には、自然科学的な知識を交換・蓄積する場として学会・科学アカデミーが西欧の主要都市で生まれた。神学、数学、法学の三学部しかなかった大学においては、自然科学を専門にあつかう学部は存在せず、現代の教養課程に相当する自由学芸という呼称のもとで、わずかに幾何学や天文学が教えられているにすぎなかった。ここでの自然科学は古典を通じて学ぶものであり、古代の哲人の著書を金科玉条のものとして権威化し、実験や観察によって新たな事実を知るという経験主義的な方法は採られていなかった。したがって、客観的事実を蒐集し、そこから一般的な理論や法則を得ようとする態度は育まれず、当然ながら、大学は科学的発見を公表する場には不向きなものであった。このころ自然科学者は、貴族や王室をパトロンに持ったり、別の職業を持つ傍らに趣味的に研究をしていた。これらの自然科学者の発見や発明などを公表したり、実験をして、議論する場として、いわゆる学会が始まる。ガリレオが活躍したイタリア山猫学会(アカデミア・デイ・リンチェイ)、実験学会(アカデミア・デル・チメント)が最初の学会であり、イギリスではニュートンやボイルが会員となったロンドン王立協会(1662-)、フランスはパリ王立科学アカデミー(1666-)がそれに続く。ロンドン王立協会は今日でも存続する最古の学会でもある。学会というと今日の日本の学会のように、大学や研究機関の一部などに事務局だけがある組織を思い浮かべるかもしれないが、これらの科学アカデミーは、互いの研究成果を発表する場としてだけでなく、実験設備を揃えて、そこで会員が実験をできる研究所の性格ももっていた。(図1)。このことから分るように、今日の学会の起源となった科学アカデミーは研究機関すなわち研究所であった。研究者が集まって実験をしたり研究報告をする場として作られた科学アカデミーはベーコンの「ソロモンの家」を具現化したものであり、特に大法官ベーコンを輩出したロンドン王立協会は彼の影響を強く受けていた。もっとも、王立協会は国王の勅許を得て創設されたという意味では「王立」ではあったが、資金的スポンサーシップは得ていたわけで

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