Vol.1 No.1 2008
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Synthesiology Vol.1 No.1(2008)−59−論説科学と社会、あるいは研究機関と学術雑誌:歴史的回顧赤松 幹之*、井山 弘幸***産業技術総合研究所 人間福祉医工学研究部門 〒305-8566茨城県つくば市東1丁目1−1 中央第6 産総研つくばセンターE-mail:akamatsu-m@aist.go.jp**新潟大学 人文学部 人間学講座 〒950-2181 新潟市西区五十嵐2の町80501 はじめに 本稿では、この新しいジャーナルの発刊に際して、科学技術の研究におけるジャーナルの役割を科学史の観点から顧みる。現在は数えきれない数の学術雑誌があるが、そのうえに更に新しいジャーナルを発刊するからには、その意義を明確にしておく必要があろう。そのことは、我々が目指す科学技術の社会への貢献のためにジャーナルが目指すべきあり方を模索するための糧になると考える。そのために、科学史を紐解き、我々の研究活動の発表の場として当然のように存在する学術ジャーナルが、いかなる経緯によって生まれて来たかを明らかにして行くことにする。 近代科学の誕生はガリレオやニュートンら知の巨人と呼ばれる人達の卓越した業績によるところが大きいが、17世紀に彼らが知識の変革をなし得た背景には、科学知識を広く世に伝える研究機関とその手段となったジャーナルの存在があった。ニュートンは後に会長の地位に就くことになるロンドン王立協会の機関誌『フィロソフィカル・トランサクションズ』に古典力学や光学に関する論文を寄稿したし、デルフトの毛織物商人でアマチュアの生物学者レーウェンフックは、自製の顕微鏡を駆使して史上初の微生物観察を報告するレター論文を送った。ロンドンの王立協会やローマの実験学会は、会員相互のコミュニケーションを活発におこない、鮮度の高い情報をリアルタイムで報告しうる雑誌を刊行していた。社会学者マートンが20世紀に提唱した科学者集団のエートス(集団が持つ性格や習慣)の重要な一つである「共有性」(communalism)はすでにこの科学革命の時期に成立していて、集約的な事実の収集とそれらの情報の開示がやがて人類の福利厚生に役立つと推測していた。 こうした知識の迅速で積極的な開示が科学者相互の研究交流に益し、延いては人類社会に貢献しうるという思想は、フランシス・ベーコンの『ノヴム・オルガーヌム』(1620年)に淵源する。古代近代論争のさなか、アリストテレスを代表とする古典的知識のなかに真理が語られているとする古代派に抗して、近代派のベーコンは偉大な先哲の業績の上に立って、いわば「巨人の肩の上に乗って」さらに遠方を俯瞰するためには、新しい知識すなわち実験や観察による経験的知識を蓄積する必要性を訴えた。遺著となった著作『ニュー・アトランティス』では、遥か後に実現する科学立国構想が表明され、社会に貢献する知識制度のひな形が語られていた。王立協会などの学会の創設理念はこのベーコンの新構想の影響を多分に受けていたのである。 研究成果を論文という形式で雑誌に掲載し、会員相互の知的交流を促すシステムは、このように17世紀に創設されたが、その内実は博物的な新奇性や天変地異を扱うものが多く、科学的成果の産業的有意性を求めるものは見られず、虚心坦懐に事実を報告しつつも、高次の理論に基づく演繹的推論を含むものは少なく、ましてや産業的応用に言及するものは殆どなかった。科学雑誌が真に社会に眼を向けるようになるのは、専門分野が熟成し個別の学会とその機関雑誌が刊行される19世紀になってからである。科学雑誌の性格は産業革命を経て一変し、知識の有用性をめぐる議論も活発になってゆく。ベーコンの構想から二百年の時を経てようやく「有用知識」という尺度で知識を評価する視座が生まれた。その後、国家的規模の助成制度や研究機関、さらに理系大学の誕生を得て、科学者集団は研究の自由を保証される自律的な知識団体として制度化され、国家計画の枢要な地位を占めるにいたった。しかし、20世紀末のイグ・ノーベル賞創設に象徴的に表われているように、現在では、ともすると知識のための知識が追究され、実社会との関連性を欠いた「役に立たない」研究が量産されるようにもなった。こうした現状において、科学雑誌の本来の機能をその歴史の原点までたどって回顧することは、現代科学と社会との関係を見直すためには欠かすことのできない作業となるだろう。2 科学の社会的有用性 古代に最も発展した分野の一つは天文学である。たとえば最も古い日蝕の予言は紀元前585年にタレスによってなされている。古代社会では祭祀を重視し、そのために精確な

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