Vol.1 No.1 2008
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−−Synthesiology Vol.1 No.1(2008)発刊に寄せて産業技術総合研究所で、新しいジャーナルが発行されることになった。ジャーナルの名前は、“構成学(Synthesiology)”である。 発行に至る経過は決して簡単でなかった。創刊にあたって、その経過を記すとともに、このジャーナルの固有性について編集委員会を中心に様々な議論が研究所でなされ、考え方が次第に集約しつつあると思われるが、ここでは筆者の考えをやや自由に述べることにしよう。この新しいジャーナルは、本格研究、特にその中で第2種基礎研究の研究成果を発表する論文集である。本格研究は、産業に貢献するために有効な研究方法として産業技術総合研究所において位置付けられているものであるが、このような目的を持つ研究には従来から一つの問題があった。それは、このような目的のもとに行われた研究にはその目的に関連して重要な独創的成果をもつ部分が多いにもかかわらず、研究者に独創性 (オリジナリティ)を主張できる原著研究論文としてそれを発表する機会が与えられなかったということである。一方ではその結果として成果が社会の共有財産にならず、損失である。このジャーナルは、今まで発表の機会が正当に与えられなかった研究に対して発表の機会を作るものであり、産業技術総合研究所で研究を行っている研究者たちの努力によって誕生したものではあるけれども、この新しい発表の場が、産業技術総合研究所の研究のみならず、すでに広く世界に存在するこのような研究の自由な発表の場になることを期待する。1 産業技術総合研究所の発足 -ジャーナルの背景2001年に産業技術総合研究所が発足した。1882年設立という伝統的な研究所もその中に含まれる工業技術院傘下の15の研究所が、2001年に統合されて独立行政法人産業技術総合研究所が誕生する。研究員が3,000人に及ぶ、わが国では最大級の独立行政法人研究所である。しかも、機械、電気、電子、材料、化学、生命、情報、エネルギー、環境、地質、計量などの広い範囲を覆う文字通りの総合研究所となった。目的は基礎研究及び開発研究による産業振興である。もっとも古い歴史を持つ地質調査所第2種基礎研究の原著論文誌吉川 弘之は、明治における我が国の建国にとって重要であった資源の探査をその使命としていた。それはただ探査するのでなく、それに必要な地球物理・化学的基礎研究を進めながら、その知見を使用して実地の探査をするというものであった。また、これも古い中央度量衡検定所は、物理的標準・単位の研究という最も基礎的な科学的研究に基礎を置きながら、測定器の検定という実務を遂行していたのであった。次々と設置された研究所 (当時は試験所と呼ぶことが多かった)が、すべてこのように基礎科学の研究を遂行しつつ、一方で我が国がそれぞれの時代で求められた産業振興に貢献する知識を提供してきたのが、これらの研究所の歴史であった。産業技術総合研究所が発足する直前においては、これらの研究所は通産省(経済産業省)の外局であった工業技術院のもとにおかれる分野別の8研究所と、地域に設置された7研究所の15研究所であった。各研究所には研究所の固有の分野に対応する研究者がいて基礎的な研究を分野別に行うとともに、国家目的として取り上げられた課題のもとに研究者が結集し、それに産業界も加わってプロジェクト研究を行ってきたのである。これは明治の建国以来産業振興に大きく貢献し、第二次大戦後の産業復興、そして高度経済成長を支えた製造業の競争力強化に大きく貢献したのであった。そして高度経済成長を遂げた1980年代の後半からはわが国の工業製品輸出量が増え、世界市場の重要な地位を担うことになってゆく。しかしそのころわが国に対して、外国の基礎技術の応用で製品を開発し、それを高い生産技術によって高品質低価格で競争力の高い製品を大量生産して国際市場で勝利をおさめ、それを通じて経済を拡大してきたという見方が現れる。この見方は、競争で不利になった国々からの批判を招くことになった。それは、“基礎研究ただ乗り論”などと呼ばれたように、日本は他国で大きな投資のもとに得られた基礎的、科学的成果を、自らは基礎研究をすることなしに借用し、応用して経済的利益を上げたとするものである。このいわば情緒的批判は、現実には通商上の貿易摩擦などとして現象し、わが国にとって困難な状況を生むこととなった。その解決のために、我が国は国際政治的にも通商的にも様々な努力を払ったので産業技術総合研究所 理事長 〒100-8921 千代田区霞ヶ関1丁目3-1 産総研東京本部
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