Vol.1 No.1 2008
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Synthesiology Vol.1 No.1(2008)−31−研究論文異なる種類のリスク比較を可能にする評価戦略− 質調整生存年数を用いたトルエンの詳細リスク評価 −岸本 充生 化学物質のヒト健康に対するリスク評価に関して、社会のニーズを、1)基準値や規制値の導出、2)リスクの懸念のないものを選り分けるスクリーニング評価、3)異なる種類の化学物質同士のリスクの比較や排出削減対策の費用対効果の評価、の3つに区別したうえで、1)と2)に応える形で設計された現行のリスク評価手法はそのままの形では、新たなニーズである3)を満たすことができないこと示し、トルエンを例に、3)を満たすための新しいリスク評価手法を提案した。質調整生存年数を健康リスクの指標とすることで、異なる種類の化学物質同士、さらには事故や疾病等の他のリスクとも比較することが可能となる。1 はじめに 環境・安全・健康の問題に合理的に対処するためには、「リスク」という概念や「リスク評価」という手法が必要不可欠であるという認識は近年かなり定着してきた。化学物質のヒトに対するリスクは、その化学物質が持つ有害性(毒性、ハザード)の大きさと、ヒトがそれにさらされる曝露量(摂取量)を掛け合わせたものであり、毒性の強い物質でも摂取量が少なければリスクは小さいが、さほど毒性は強くなくても摂取量が多ければリスクは大きくなりうる。化学物質のリスク評価としては、動物実験やヒト疫学調査に基づく有害性評価から導出された無毒性量(ここまでなら摂取しても大丈夫な量)と、実際の曝露量とを比較して、対象となる化学物質の環境中濃度や摂取量が許容範囲内であるかどうかを判断する手続きが確立されてきた。この方法は、環境基準値の設定や、リスクの懸念のない物質を選り分けるためのスクリーニングに実際に使われている。 しかし、リスク評価に期待されている役割はそれだけではない。世の中のリスクを最小にするという大きな目標を達成するためには、それぞれの物質のリスクの大きさの定量化と相互比較、および、リスク削減対策ごとの費用対効果の計算とそれに基づく優先順位付けが必要である。このために必要な、しかるべき統計的手続きに基づくリスク評価の方法は確立されていない。 本稿では、リスク評価という学際的・統合的なプロセスの成り立ちに立ち返ることによって、新たな社会ニーズに応えるためのもう1つのリスク評価の試みを、トルエンの詳細リスク評価を例に示す[1]。それは、新たな社会ニーズから出発して、個別の要素技術を横断的に再検討したうえで、それぞれに対して必要な改訂を加え、それらを1つのシナリオに再統合していく試行錯誤の過程であった。 トルエンは、常温で無色透明な液体であるが、高い揮発性を有している。そのため、環境中に排出されたトルエンの大部分は、気体として大気中に移行する。日本において2001年度から始まった化学物質排出移動量届出制度(PRTR)において、すべての年で環境中への排出量が最も多い物質であり、ヒトの健康を損なう室内汚染物質としても知られている。2章では社会ニーズとリスク評価手法の関係について整理した。3章では新たな社会ニーズに対応するために実施した、要素技術ごとの手法開発・改良の内容とそれによって得られたリスクの評価結果について、4章では、トルエンの詳細リスク評価を通じて得られた考察と今後の課題についてまとめた。2 社会ニーズとリスク評価手法 現行の化学物質リスク評価は図1のような手順で実施され、その目的(社会ニーズ)により大きく2種類に分けることができる。第一は、化学物質濃度の基準値や規制値といった参照値を導出するためのリスク評価である。これは厳密に言うと有害性評価であるが、環境中濃度の測定値と比較する形で用いられるのでリスク評価と呼んでもよいだろう。環境省による環境基準値や指針値、厚生労働省による室内濃度に関する指針値、残留農薬の基準値、作業環境中の管理濃度の設定などがこれに相当する。これらの参照値が想定している社会ニーズは、社会の中の感受性の高い人々(子供等の生物的弱者)や曝露量が特に多い人々をも確実に保護することであり、参照値は、動物実験などから得られた無毒性量を十分に大きな不確実性係数(安全係数)で割ることによって求められる。そのため、参照値産業技術総合研究所 化学物質リスク管理研究センター 〒305-8569茨城県つくば市小野川16−1 つくば西 産総研つくばセンター E-mail:kishimoto-atsuo@aist.go.jp

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