独立行政法人産業技術総合研究所
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吉川理事長 年頭所感


年頭所感

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  吉川 弘之

時の流れ

 新年を迎える。昨年はいろいろな事があった。今年はどうか。いい事が多くあって欲しい。 新しい年を迎える時、私達は若干情緒的になる。それは年の変わり目とは時間が経過していることを感じさせるものであり、時が過ぎて行くことはあまりに絶対的であって、理屈ではどうしようもないからかも知れない。
 しかし今、私達の周辺には、余りにも多くの事が起こり、また既存のものが変化を遂げつつあって、それらを慌しく追いかけることで精一杯で、情緒にひたっている暇もないくらいだ、というのも一方の実感である。国の外を見れば、国際的な秩序は決して安泰とは言えず、貧困や環境劣化などの問題群は、国家間の利害が相反して解決には大きな困難があることを予想させている。一方我が国は、長引く不況からの脱出の見通しはなく、日本固有だと言われていた諸習慣も崩壊のきざしを見せ、しかもその後の姿が見えていない。
 この、理屈ではどうしようもない時間の流れと、慌しく追いかけなければならない多くの事柄との関係は、多くの事柄が時間軸に沿って変化を、それも急速に遂げて行くといったイメージでとらえる事が出来るだろう。
 そのどれかに跳び乗ってしまえば、急に景色が静かになって、隣のどれかに跳び乗った人とゆっくり挨拶をする余裕もできる筈である。
 しかし事実は、時間軸に沿って複雑系が進展中なのであって、静かな挨拶は仮の姿である。

乗物と新領域

 ここで研究者は立ち止まっている人だ、という話をまずしなければならない。立ち止まっていると言っても、何もしないで居るわけではない。そうではなく、急速に流れる複雑系を、自らの座標で観測する人ということである。
 例えば、現代は「情報化時代」と呼ばれる。科学的知識に限らず、多様な情報が社会に満ちている。そして通信と情報処理が発達し、それらの情報へのアクセスは日々容易になっている。私達はそれらを利用し、便利な生活を送っている。そして、それを普通のことだと感じているとしたら、それは情報という乗物に乗ったのである。すべては当然のこととなり、日々進歩する情報技術も当然のこととなる。
 しかし、情報の乗物に乗らず、自分の座標で現在の情報通信を見た時に、本当に確信をもってこれが唯一の可能な流れだと信じる事は必ずしも出来ない。事実私達は、そう遠くない過去に、計算機がその能力を年々拡大して大きくなって来た時代を経験したばかりである。そしてその延長線上に、我が国では人間の知能により近い計算機を夢見たのであったし、その実用化も試みたのであった。
 事実は歴史の単純な延長線上を歩むことはせず、ダウンサイジングとネットワークという新しい道へと施回したのだった。もちろん延長線上の技術は益々進歩して高度な応用を可能にしてはいる。しかし、社会への浸透という、当時は予期出来なかった拡がりを、その施回はもたらしたのである。計算機の大型化が急速に進行している時代に、小型化を考えていた人を、乗らなかった人と呼んでいいのではないだろうか。
 恐らく技術は、そして基礎的な科学でさえも、進展の歴史に大きな軌道の変化を与えたり、科学で新領域を開拓したりするのは、主流を流れている乗物に乗らず、自分の座標の上に止まっていた人なのではないか、と思われる。20世紀で言えば、ある物理学者が分子生物学を創出したり、個々の原子の制御という概念にこだわり続けてナノテクノロジーを拓いた材料加工の人がいる。これらの人々は、それぞれ伝統的なディシプリンを身につけながら、そのディシプリンの発展の中心に身を置くことにはせず、別の点を凝視すべく自分の座標を築き、新領域を拓いたり、技術の流れに軌道修正を与えたりするのである。

共通の言葉を持つ

 そして結局、ここで前言を翻して、研究者は乗物に乗るのであると言わなければならない。科学や技術が、その時代で新しいものと認知されるためには、それは単なる着想や一編の論文では駄目である。その領域が時代の流れを作り、他の多くの研究者が研究を始めたりして、それが少なくとも学界という社会で認知される必要がある。技術で言えば、その技術が社会で使われることが条件になるであろう。これらの人々が、このような条件が満たされるまで待つことは、決して楽なことではない。無視されたり、ときには誹謗されたりもする。従って、それに耐えられる忍耐力と執念が必要条件である。
 産総研におけるユニットの本格研究を、上述の文脈で言えば、乗らない研究者も乗る研究者も居る、というものである。すなわち、まだ科学あるいは技術の領域として認知されていない、言いかえれば一人で研究を続け他から認められない研究者も居る。一方、認知されて研究が外部からも評価される人も居る。そして、認知ばかりでなく、産業との共同研究やベンチャーとして自ら産業化を準備する人も居る。
 これらの研究者たちが一つのユニットに居る必然性は、研究者達の間に共通の言葉があることを、即ち目標と学問的手法との共通性ということである。この共通性によって形成される集団をコヒーレントな研究者集団と呼ぶ。そして、このコヒーレントな集団の中では基礎的な知見を求める探究者、それらの知識を使用しながら合目的なものへと集成する設計者、そして現実化のためのあらゆる条件を突破して現実世界へとそれを持ち出す実現者とが居て、それらは或る場合には一人何役をやったり、立場をお互に交換したり、互に対話し協力し合いながら、同じ目標へと進むのである。
 乗るにせよ乗らないにせよ、全ての所員にとって力が最高に発揮できる空間に産総研がなることが必要であり、多くの現代の難問を、皆が力を合わせて解決する年になる事を切に願うものである。