発表・掲載日:2011/06/22

糖鎖の迅速プロファイリング技術でiPS細胞を精密評価

-高密度レクチンアレイにより幹細胞に共通した糖鎖構造を確認-

ポイント

  • iPS細胞化により細胞表面の糖鎖構造がリプログラミングされる。
  • 未分化細胞(iPS細胞、ES細胞)に共通した新しい未分化糖鎖マーカーを発見
  • iPS細胞の安全性評価に貢献することで、産業実用化の加速に期待

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)糖鎖医工学研究センター【研究センター長 成松 久】平林 淳 副研究センター長とレクチン応用開発チーム【研究チーム長 平林 淳】舘野 浩章 研究員は、糖鎖プロファイリング技術により、初期化遺伝子の導入によってiPS細胞が作製される際に全遺伝子の発現パターンが「リプログラミング」されるだけでなく、iPS細胞表面の糖鎖構造も同時に「リプログラミング」されることを発見した。

 糖鎖は発生段階や環境の変化によって鋭敏に変化するため、iPS細胞など幹細胞の未分化性の維持と糖鎖構造には関係があると予想される。そこで、起源の異なる親細胞から作製されたiPS細胞を、レクチンマイクロアレイを用いた糖鎖プロファイリング技術で調べた結果、iPS細胞とES細胞には共通した新規糖鎖マーカーがあること、iPS細胞表面の糖鎖構造が「リプログラミング」されること、iPS細胞を作製する際に用いるマウス由来のフィーダー細胞の混入を検出できるレクチンがあることを発見した。これらは、糖鎖プロファイリング技術による各種幹細胞の品質、安全評価が可能であり、再生医療などの実用化に寄与できると期待される。

 本成果の詳細は、米国生化学分子生物学会誌Journal of Biological Chemistry 2011年6月号に掲載される(4月6日に電子版に掲載された)。

図1
図1 各種細胞の糖鎖プロファイル(クラスター解析)
起源の異なる体細胞(青)は、組織ごとに異なるプロファイルを持つが、これらの体細胞から作製したiPS細胞(赤)やES細胞(緑)は、ほぼ同じ糖鎖構造のプロファイル(図ではそれぞれ縦長の縞模様で表示)を示す。

研究の社会的背景

 iPS細胞はヒトの受精卵を材料として調製されるES細胞と異なり、皮膚や血液などから得られる自己の体細胞から調製できる多能性の幹細胞であるため、再生医療や創薬開発への期待が高い。しかし、一般にiPS細胞を調製する際にはがん遺伝子を用いることが多いことから、がん化の問題が不可避となっている。一方、糖鎖は「細胞の顔」とされ、発生段階でその構造が著しく変化することが古くから知られており、がん化との関連も深い。このため、遺伝子のリプログラミングに際し、糖鎖全体の構造がどのように変化し、そのことが未分化性とどのような関係があるのか、について専門家の間ではしばしば話題となっていた。しかし、それを解析するための具体的手法が無く、iPS細胞を含む幹細胞の糖鎖解析は今までなされたことがほとんど無かった。もし、iPS細胞をはじめとする幹細胞の評価に、簡便な糖鎖評価の新技術が活用できるなら、安全性や有効性を判断する新たな評価軸となり、幹細胞の実用化に貢献することが期待される。

研究の経緯

 糖鎖は、枝分かれ構造や立体異性の違いに基づく複雑な構造を持ち、糖鎖構造の合成制御は細胞の種類や状態(発生段階やがん化など)と密接に関係している。そのため、解析手法も複雑で、時間のかかるものであった。これまで産総研では、糖鎖遺伝子、糖鎖合成ロボット、糖鎖微量迅速解析システムなどの新しい分析手法を確立してきた。それらの構造解析の一環として、糖鎖に結合しやすいタンパク質(レクチン)を多種類用意し、これらと糖鎖との結合を一組のデータセットとして相互比較する糖鎖プロファイリング技術の研究を進め、高精度なプロファイリングが可能なシステムを開発した。(2005年11月18日産総研プレス発表

 今回の研究成果は、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構の「iPS細胞等幹細胞産業応用促進基盤技術開発プロジェクト」の一環として得られたものである。

研究の内容

 今回、レクチンマイクロアレイの性能を上げるためにレクチンの数を増やし、組換え体を含む96種のレクチンをスライドガラスに固定化した「高密度レクチンマイクロアレイ」を開発した(図2)。体細胞に4つの初期化遺伝子(Oct4、Sox2、 c-Myc、 Klf4)を導入すると、遺伝子発現のリプログラミングが起こり、未分化性と無限増殖性を備えたiPS細胞が作られるが、このときの細胞上の糖鎖の変化を今回開発したレクチンマイクロアレイを用いて糖鎖プロファイルの比較解析を行ったところ、細胞上の糖鎖もリプログラミングされることがわかった(図1)。

 国立成育医療センターの協力により、4つの異なる組織(羊膜、子宮内膜、胎児肺、胎盤動脈)から114種のiPS細胞を作製し、糖鎖プロファイルを測定した。元の体細胞が組織ごとに異なる糖鎖プロファイルを持っていたにもかかわらず、作製されたiPS細胞は、いずれもほぼ同じ糖鎖プロファイルを示し、初期化遺伝子の導入により一様な糖鎖構造が作られることがわかった。これは、糖鎖合成に関わる遺伝子の発現解析からも裏付けられた。さらに、iPS細胞の糖鎖プロファイルは、もう1つの多能性幹細胞である受精卵由来のES細胞ともほぼ一致していた。このことは、糖鎖構造が幹細胞の未分化性と関連していることを示しているが、糖鎖構造の変化が未分化という状態になった「結果」であるのか、あるいは糖鎖が未分化性を積極的に維持するような何らかの「原因」であるのか、という2つの可能性が考えられる。

図2
図2 今回開発した高密度レクチンマイクロアレイ

 今回の研究により、すべての未分化細胞(iPS細胞114種とES細胞9種)と反応し、かつ元の4つの体細胞(羊膜、子宮内膜、胎児肺、胎盤動脈由来)とは全く反応しないレクチンを1種類発見した(図3)。rBC2LCNと名付けたこのレクチンは、これまで知られるプローブ(主として細胞表面分子に対する抗体)とは異なる分子を認識している可能性があり、未分化細胞を特定する新たなプローブ分子の発見が期待される。

 さらに、iPS細胞を作製する際にマウス由来のフィーダー細胞を用いるが、その細胞の混入を検出できるレクチンも発見した。rMOAと名付けられたこのレクチンは、αGal抗原として知られる糖鎖構造に特異的に結合するが、ヒト由来の細胞ではαGal抗原が合成されないので、マウスのフィーダー細胞が混入していると、このレクチンの結合シグナルが陽性となり、混入が検出できる。

図3
図3 新規糖鎖プローブrBC2LCNの各種細胞との反応結果
rBC2LCNはすべての未分化細胞と反応したが(感度100%)、分化した体細胞には全く反応しなかった(特異度100%)

 幹細胞を評価する手法は、これまで遺伝子発現や表面マーカーの検出など、海外発の技術によるものが多く、しかもいずれも手間のかかる手法であった。今回開発したレクチンマイクロアレイによる細胞評価法はわが国が世界に先駆けて実用化した独自技術であり、今後、幹細胞評価の一環として安全性や分化指向性の解析のほか、糖タンパク質などのバイオ医薬品開発、有用微生物の品質管理など、多様な産業応用が期待される。

今後の予定

 未分化細胞と反応するrBC2LCNというレクチンが認識結合する糖鎖構造はレクチンの特異性解析からある程度構造は推定できるが、今後詳細な構造解析を行う。

 

 また、rBC2LCNを活用した新規未分化マーカーの実効性を広く検証し、iPS細胞の産業実用化をさらに加速させていくため、国内外の関連研究機関との連携強化を図っていく予定である。

問い合わせ

独立行政法人 産業技術総合研究所
糖鎖医工学研究センター レクチン応用開発チーム
研究員 舘野 浩章 E-mail:h-tateno*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)

糖鎖医工学研究センター
副研究センター長 平林 淳 E-mail:jun-hirabayashi*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)



用語の説明

◆糖鎖
約10種類の単糖(ブドウ糖など)が鎖状につながった物質で、生体の細胞内外のタンパク質や脂質についている。単糖の配列によって機能が異なり、通常は複雑に枝分かれしていて、人体には数百種類以上の多様な構造の糖鎖があると予想されている。細胞間での分子・細胞認識機能などタンパク質や脂質が生体内で果たす高次機能に関係していると見られているが、そのメカニズムは未解明の部分が多い。核酸、タンパク質に次ぐ第3の生命鎖として現在のライフサイエンスで注目されている。糖鎖の詳細構造をすべて明らかにするのは困難であるため、その全体像をなるべく迅速に比較解析する手法が求められ、しばしば糖鎖プロファイリングと呼ばれる。[参照元に戻る]
◆糖鎖プロファイリング
糖鎖構造は多様であり、また細胞上ではタンパク質や脂質に結合した形で存在するため、その化学構造の詳細や量比をすべて明らかにすることは困難な場合が多い。このため、糖鎖を含む解析対象物(糖タンパク質やその混合物、細胞、組織など)における糖鎖の全体像をなるべく迅速に比較解析する手法が求められ、この作業はしばしば糖鎖プロファイリングと呼ばれる。糖鎖プロファイリングを行う方法はいくつかあるが、主としてレクチンマイクロアレイが用いられる。[参照元に戻る]
◆iPS細胞(人工多能性幹細胞、induced pluripotent stem cell
体細胞に数種類の転写関連遺伝子を導入して作製した、多様な細胞に分化できる分化多能性と、分裂増殖を経てもそれを維持できる自己複製能を持たせた細胞のこと。京都大学の山中伸弥教授らのグループによって、マウスの線維芽細胞から2006年に世界で初めて作られた。自己細胞を用いた作製が可能なため再生医療の切り札とされ、ヒトiPS細胞の作製とその臨床に向け国際競争が激化している。一方、iPS細胞作製における遺伝子導入の効率や造腫瘍性の問題が残されている。[参照元に戻る]
◆リプログラミング
iPS細胞を作製する際に山中4因子と呼ばれる4つの遺伝子が用いられるが、一般に、これら遺伝子の導入によって、細胞内の遺伝子環境が劇的な変化を受け、未分化状態に戻ることを指す。山中4因子とは、2006年、京都大学の山中伸弥教授のグループがマウスの線維芽細胞から世界で初めてiPS細胞を調製する際に用いた4つの転写遺伝子(Oct4、Sox2、c-Myc、Klf4)である。[参照元に戻る]
◆レクチンマイクロアレイ
レクチン複数種を、スライドガラスの様な基板に並列に固相化したもの。これにより、糖タンパク質上に付加する糖鎖の構造をおおよそ網羅することができる。細胞は分化やがん化に伴い表面に存在する糖タンパク質および糖脂質の糖鎖構造を劇的に変化させることが明らかになっているため、最近レクチンアレイを細胞判別システムとして用いる動きがある。同時に、がんマーカー探索のツールとしての利用価値も高く、探索のためのプロトコルに関するいつくかの成果が公表されている。[参照元に戻る]
◆ES細胞(胚性幹細胞、embryonic stem cell)
動物の発生初期段階である胚盤胞期の胚の一部に属する内部細胞塊より作られる幹細胞株で、生体外にて理論上すべての組織に分化する分化多能性を保ちつつ、ほぼ無限に増殖させることができる。再生医療への応用が注目されるが、ヒトES幹細胞の作製には倫理的な問題が付随する。また、他への移植の場合拒絶されるという問題点もある。[参照元に戻る]
◆フィーダー細胞
ES細胞やiPS細胞を作製する際に用いる下敷きとなる細胞のこと。一般に、マウス胚由来の線維芽細胞が用いられることが多い。もともとES細胞やiPS細胞は分化しやすい細胞であるが、フィーダー細胞を下敷きとした容器の中で、他の必要な因子(成長ホルモンや分化抑制因子など)とともに培養すると未分化な状態が保たれ増殖が維持される。一方、マウスにはヒトの細胞には無いαGal抗原と呼ばれる異種物質が発現しているため、樹立したES細胞やiPS細胞を用いる際には、このフィーダー細胞の混入を厳密に点検する必要がある。[参照元に戻る]
◆レクチン
ある特定の部分糖鎖構造を認識し、結合するタンパク質のこと。古くから植物由来のレクチンが知られ研究に利用されているが、動物や微生物にも多くのレクチンが存在し、発生、分化、免疫、がん化、感染など幅広い生命現象に関与している。[参照元に戻る]
◆αGal抗原
マウス、ブタ、ウシなどのヒトを除く哺乳動物の多くは、αGal抗原(Galα1-3Gal)と呼ばれる糖鎖構造を合成する酵素を持ち、これを持たないヒトに対し強い抗原性を持つ。ブタなどの異種生物由来の臓器を用いて移植を行う際に高い頻度で超急性の拒絶反応が起こるため、さまざまな打開策が講じられている。[参照元に戻る]

関連記事