コンピューターを省エネ化する二つの意義
私たちの日常生活に欠かせないコンピューターは今後、家電や壁・道路に埋め込まれる無数の微小電子機器などを含め、さまざまな形態で利用されるようになります。その省エネ化は二つの側面をもっています。一つはエネルギー総消費量の観点です。データセンターの巨大な電力消費だけでなく、パソコン以下の小型電子機器の電力も、その膨大な数のために無視できないものとなってきます。もう一つの側面は、長時間使用による利便性の観点です。現在はノートパソコンでも1回の充電で数時間しか使用できませんが、これが1週間、数ヶ月、数年と延びれば新しい利用形態の出現も期待できます。
スピントロニクスの利点は情報の不揮発記憶
スピントロニクスはナノメートルスケールの磁石を使う新しいエレクトロニクス技術で、コンピューターの省エネ化に大きな役割を果たすことが期待されています。磁石を使う電子デバイスの最大の強みは、エネルギーを全く使わずに情報を記憶する能力(不揮発記憶)です。しかし、これまでは磁気と電気の結合に古典的な電磁コイルを使わざるを得なかったため、性能向上が困難という原理的な問題を抱えていました。ここ10年ほどの間に急速に発達してきたスピントロニクス技術は、この問題を根本的に解決する新技術です。量子力学レベルで磁気と電気を高効率に結合することを可能にしました。その代表的な成功例は、2004年に産総研とキヤノンが共同開発したCoFeB/MgO/CoFeBトンネル磁気抵抗(TMR)素子です[1][2]。これにより記録密度を飛躍的に向上させた小型HDDが可能となり、アイドル電力がこれまでの1/5程度までに削減可能となりました。現在、世界中のHDDに、産総研のこの技術が搭載されており、データセンターのIT機器の発熱量の約1/3を占めるHDDの省エネ化にも貢献しています。
不揮発メモリーと超低消費電力コンピューター
スピントロニクス技術の次のターゲットは、コンピューターメモリーの不揮発化です。最近のCPUはとても強力なため、フルパワーで使用される頻度は少なくネットブックなどでは数%程度ともいわれています。そのため最先端のCPUでは、仕事がないときには1/1000秒以下の速さで、論理演算部の電源を頻繁にOn/Offして消費電力を削減する技術が一般化してきました。しかし、コンピューター自体の電源を切ることまではできません。メモリーとして使用されているDRAMとSRAMの情報を保持するために電気を供給し続けなければならないことが大きな原因です。DRAMとSRAMの待機電力は今後の微細化に伴ってさらに増大するため、メモリーの省エネ化は重大な問題となっています。
メモリーを不揮発化することができれば、ユーザーに気付かれずに、高い頻度で電源を完全に遮断することが可能となります。そのようなコンピューターに電源スイッチは不要です。私たちはノーマリーオフコンピューターと名付けてその実現を目指しています。
ただし、コンピューターは高性能なメモリーを必要とします。DRAMには30 ns程度の動作速度と1015回以上の読み書きに耐えることが求められます。容量も1 Gbit以上が必要です。現在一般的な大容量不揮発メモリーであるフラッシュメモリーの動作速度は数μs程度、書き換え耐性は105回程度であることを考えると、これはとても高いハードルです。現状ではDRAM、SRAMを置き換えられる不揮発メモリーは存在しません[3]。
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図1 各種メモリー・ストレージデバイス製品(PCMはサンプル)の現状[3]とスピンRAM開発の狙い |
スピンRAM
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図2 50 nm径の垂直磁化TMR素子の電子顕微鏡写真[4](東芝ほかとの共同開発) |
磁石を使うメモリーは電子スピンの向きの変化だけで情報を記憶するため、ほかの不揮発メモリーのような原子の移動がなく原理的に書き換え回数は無限です。またスピンは1 nsよりも速くその向きを変えることもできます。初期のコンピューターに使用されていた磁気コアメモリーは情報の読み書きに使用していた電磁コイルのために、高集積化ができず姿を消しました。しかし、スピントロニクス技術の出現により情勢が一変しました。すでにDRAM並みの速度で動作する磁気RAM(MRAM)が市販されています。ただしその記憶容量は現状で16 Mb、原理的にも256 Mb程度が限界でDRAM置き換えは不可能です。この限界は、情報の読み出しにはTMR素子を用いているものの、書き込みには依然として電磁コイルが用いられていることから生じています。書き込みにもスピントロニクス技術を用いれば、Gbitを超える大容量化が可能と期待されます。その鍵となる技術は、ベクトル量であるスピンがもたらす量子力学的トルクを利用するスピン注入磁化反転です。この次世代のMRAMはスピンRAMと呼ばれます。産総研は東芝、大阪大学、東北大学、電気通信大学と共同で大容量スピンRAM開発を目指したNEDOプロジェクトを実施中です。これまで、スピンRAMの心臓部であるTMR素子には、産総研が開発したCoFeB/MgO/CoFeB−TMR素子を用いることが当然視されてきました。しかしこのTMR素子は、HDDヘッド用に開発されたもので、スピンRAMには適していません。1 Gbitに相当する65 nm以下のサイズに微細化するとCoFeBが磁石としての性質を失うからです。私たちはこの問題にいち早く気づき、垂直磁化膜と呼ばれる磁石としてきわめて強力な性質をもつ材料を用いた新しいTMR素子の実現に挑戦してきました。その結果、世界で初めて1 Gbitを超えるスピンRAMの実現に目処をつけました[4]。この成功により、SRAMを置換する高速スピンRAMや、ストレージ用の超大容量スピンRAMの可能性も見えてきました。実際、私たちはサブナノ秒のスピン注入磁化反転の実証にも初めて成功しています。
ノーマリーオフコンピューターの実現に向けて
高性能不揮発メモリーはノーマリーオフコンピューター実現のために不可欠ですが、それとともにディスプレー、周辺回路、電源、メモリーアーキテクチャ、OSなどの広範な技術との連携が求められています。私たちは、スピントロニクス技術を核として、コンピューターの低消費電力化とそれによる利便性の向上を追求していきます。
エレクトロニクス研究部門
安藤 功兒(あんどう こうじ)


