研究の背景
質量標準は、商取引などに利用されるとともに、力・圧力・トルク・密度などの組立単位の導出にも欠かすことができない計量標準である。産総研計測標準研究部門では、キログラム原器に基づいた日本国内の質量標準の設定・維持・供給を行い、国際的に整合性のとれた質量標準の実現に寄与している。また、こうした役割を果たしていくため、質量標準の高精度化に関する研究も行っている。
質量の単位“キログラム”は白金イリジウム合金製の国際キログラム原器の質量で定義されている。産総研計測標準研究部門では、同じ形状のキログラム原器を3個保管しており、そのうちの1個は国際キログラム原器に基づいて国際度量衡局で値付けされたものである。日本のキログラム原器の質量値は、これら3個のキログラム原器の相互比較によって維持されている。図1は日本国キログラム原器の写真である。
これらのキログラム原器の質量値は、通常、湿度50%前後の空気中での値として与えられている。実用分銅として広く用いられているステンレス鋼製分銅や密度の基準となるシリコン球体の質量は、湿度50%前後の空気中で、キログラム原器との秤量比較で決定される。したがって、ステンレス鋼製分銅やシリコン球体の真空中での質量値が必要となる場合には、その表面から脱離する水分子の質量に対する補正をしなければならない。このような水分子吸着量を高精度に決定する方法を次項で紹介する。
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図1 日本国キログラム原器 |
水分子吸着量の測定
水分子吸着量は、表面積が大きく、体積差の小さい参照試料と試験試料の間の秤量比較によって測定できる。図2に水分子吸着量の測定原理を示した。水蒸気圧が上昇すると、より大きな表面積をもつ試験試料は参照試料に比べてより多く質量が増加する。単位面積あたりの吸着量は、試験試料と参照試料の間の質量差の変化を表面積の差で割れば得られる。
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図2 水分子吸着量の測定原理 |
図3は、こうして得られたステンレス鋼の表面上およびシリコン表面上の水分子吸着量の測定データである。ステンレス鋼の表面は機械研磨で鏡面に仕上げたものであり、シリコン表面はシリコン単結晶を方位(100)で化学的かつ機械的に鏡面研磨したものである。測定データからわかるように、ステンレス鋼の表面上への水分子吸着量はシリコン表面上への水分子吸着量に比べて約6倍の大きさになっている。この原因としては、ステンレス鋼の表面がシリコン表面に比べてより粗いこと、また、ステンレス鋼の表面には粒界(多結晶体の各結晶粒間の境界面)が存在しているために、単位面積あたりの吸着量がより大きくなっていると解釈できる。また、表面積約140 cm2のステンレス鋼製1 kg分銅の場合、湿度50%の空気中での質量と真空中での質量の差は約6 µgとなることがわかる。
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図3 水分子吸着量の測定データ |
こうして得られた水分子吸着量を固体の表面構造との関係で考えることは興味深い。湿度50%におけるシリコン表面上への水分子吸着量は0.0078 µg cm-2であり、この値から水分子1個が占める面積を計算すると0.38 nm2となる。一方、ダイヤモンド構造をとるシリコン結晶の単位格子は一辺0.543 nmの立方体で、図4に示したような(100)面に現れる単位格子の面積は0.29 nm2となり、測定で得られた水分子1個が占める面積0.38 nm2と比較的近い値であることがわかる。
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図4 シリコン結晶の(100)面 |
今後の展開
今後は、水分子吸着量の測定技術を、キログラム原器に基づいた質量標準の設定の高精度化に役立てていく予定である。また、現在進められているアボガドロ定数決定のための国際プロジェクトにも、シリコン球体の質量測定で貢献していく予定である。
なお図5は、シリコン球体を空気中と真空中で秤量するために天秤内に配置したところの写真である。

水島 茂喜



