3次元(3D)表示の現状
我々が生活の場としているのは3次元空間であり、そこに存在するものすべても3次元の物体である。インターネット上には必然的に膨大な量の3次元画像情報が氾濫しているが、こういった電子情報を基に再生された“リアルの3次元(3D)映像”を我々が目にすることはほとんどない。その理由は、“リアルの3次元(3D)映像”を描画できる電子的なディスプレイの存在がほとんど皆無だからである。
3次元画像を表示するディスプレイは、その開発が切に望まれているが、その際に避けて通ることのできない問題が、図1に示す人間の立体認識のメカニズムである。人間が3次元物体を認識するためには、主として(A)両眼視差、(B)両眼のふくそう角、(C)焦点調節(水晶体の調節)、(D)単眼の運動視差、の4つの生理的要因を満たす必要があると考えられている。
(A) 両眼視差
右目と左目の網膜に写った像の違いを脳内で処理して奥行きを知覚すると考えられている。近距離において奥行き知覚の最も重要な要因となる。
(B) 両眼のふくそう角
物を見つめるときは、像が網膜の中央に来るように眼球を回転させる。この角度(輻輳角)は物体までの距離によって変化するので、眼球の回転角から奥行きを知覚できる。
(C)焦点調節(水晶体の調節)
眼球のレンズである水晶体の厚みを変えることで焦点を合わせる。水晶体の厚みを変える筋肉(毛様体筋)の弛緩から奥行きを知覚する。
(D)単眼の運動視差
物体と観察者の相対運動により網膜像の大きさや形状が変化する。これにより奥行きを知覚する。
もし、これら4つの要因の間に実際の3次元空間ではあり得ないような不整合が生じると、正確な3次元空間の把握ができないばかりか、「3次元酔い」と呼ばれる副作用を引き起こすことになる。
これまでも3Dオブジェクトを扱う多くの3次元ディスプレイが報告されているが、こういったディスプレイのほとんどは人間の視差のみを利用した擬似的な描画技術を使っており、人間の立体認識のすべての要因を満たしていない。そのため、どうしても視野制限、虚像の誤認識による生理的不快感などの問題が生じ、長時間の鑑賞には適していなかった。4つの生理的要因を満たすには、3次元空間に3次元の実像を描画するディスプレイが理想的であり、未来社会を象徴する夢のデバイスとしてSF映画や小説の中では数多く取り上げられてきたにもかかわらず、多くのディスプレイ研究者から「実現は極めて困難である」と考えられてきた。この理由は、ブラウン管、液晶ディスプレイ、プラズマディスプレイ、有機ELディスプレイといった2次元平面ディスプレイを成立させた基本的な物理現象や長年開発で培われた技術が、実像を描画する3次元ディスプレイの開発に際してはほとんど適用できないためであると考えられる。その実現のためには、これまで使われたことのない物理現象を用いた駆動原理と、それに基づく新たな技術体系の構築が必要であると考えられる。
大空間に描かれた3次元映像を、同時に多くの人が映画のように鑑賞することは果たして可能なのであろうか?このささやかな疑問が研究を開始するきっかけであった。
今回の研究の経緯
空気中で非常に強い光源(例えば短パルスレーザーなど)を強く集光するとその焦点近傍で白色光が発光する現象が観測される。この現象自体はレーザー研究者の間では古くから知られていたが、(株)バートンはこの現象を利用すれば、スクリーン無しに空気中に画像を直接描画できるのではないかと考え、「空中広告」という概念を着想するに至った。その実現には多くの困難が伴ったが、試行錯誤の後、慶應義塾大学と共同で「川崎市産学共同研究開発プロジェクト助成事業」の支援の下、ドットアレイからなる2次元映像をスクリーン無しに空気中に描画するという実証実験に世界で初めて成功した。
産総研、(株)バートンおよび慶應義塾大学は、更にこの技術を発展させ3次元映像を描画できる空間描画装置の実現を目指し共同研究を開始した。
これまでの空気中の2次元映像描画技術は、レーザー光源とガルバノミラーを組み合わせることで実現しているが、3次元映像を描画するには焦点の位置も3次元的に精確に制御しなければならず、レーザーの品質および焦点の可変方法などが解決すべき大きな研究要素であった。
レーザーによるプラズマ発光
空気中にレーザー光を強く集光すると、焦点近傍に非常に大きなエネルギーが集中する。すると、空気を構成する窒素や酸素の分子・原子は、イオンと電子に解離した「プラズマ」と呼ばれる状態になる。プラズマはいわば大きなエネルギーが閉じこめられている状態であり、そこからエネルギーが放出されるのに伴って、焦点の近傍で白い発光が観測される(図2)。この現象の特徴は、焦点近傍のみに発光が観測され、光路中は一見何も存在しないように(不可視のレーザーを用いればより顕著に)見える点である。
3次元映像描画装置
これまでの2次元描画装置では、ガルバノミラーを用いて、2次元平面上(X軸,Y軸)でプラズマ生成の位置制御を行ってきた。具体的には、ガルバノミラー1つが1軸方向の焦点の移動を担うため、2枚1組のミラーを用いてそれぞれの鏡の向きを独立に制御することにより、2次元平面上でのレーザー焦点の移動を行った。その結果、空気中にスクリーンなしでプラズマ発光による2次元画像の描画を実現することはできたが、画像はあくまで2次元に限られていた。
今回、Z軸(垂直)方向でもレーザーの焦点、すなわちプラズマが生成、発光する点の位置制御を実現するために、レーザー焦点位置調整用レンズを新たに導入した。レンズは高速かつ精確に位置を制御する必要があることから、精密な制御を行うことができるリニアモーター上にこのレンズを設置したシステムを新たに開発し、描画装置内に組み込んだ。(図3)レンズの位置をレーザーから遠ざけるとプラズマ発光点は上に、近づけると下に移動する。ガルバノミラーの角度とレンズ位置とを同時にかつ精確に制御することで、3次元映像の描画に必要なプラズマ生成のX,Y,Z軸(3次元空間)における位置制御を実現した。結果として、空気中の任意の点にプラズマ発光を生じさせることが可能になった。
また、3次元画像を描画するには、装置から画像までの距離も十分伸ばす必要があった。この問題を解決するため、レーザー光源として、従来よりも高品質・高輝度の赤外パルスレーザー(パルス繰り返し周波数 〜100Hz、パルス発光時間はナノ秒(10億分の1秒)オーダー)を用いることとした。プラズマの生成する状態をより柔軟に制御できるようになり、描画装置から描画画像までの距離を数メートルまで延ばすことに成功した。
さらに、ソフトウェア的に1光点あたりのパルス数を制御することも可能であることから、今回はより高輝度・高コントラストな描画を行うために、ソフトウェア的な改良も行った。具体的には、1ドットにつき2つのレーザーパルスを用いて人間の目に強く残像を残すという方法を採用することにより、今まで以上の鮮明な画像描画が実現した。
本装置で実際に空間に描画した種々の2D、3Dオブジェクトの写真を図4に示す。ピラミッド状、らせん、SOSの文字などが立体的に描画されている。図5は、描画した3Dオブジェクトの大きさが分かるように人物を同一フレーム内に収めた写真である。何もない空気中に描画が行われていることが分かる。
今後の展開
本成果のプレスリリース後、ホームページには、日本語版、英語版合わせて20日間あまりで17万件を越えるアクセスをいただいた(産総研e広報室調べ)。また、各国のマスコミ、インターネットサイトでも取り上げていただいている。「3次元ディスプレイ」に対する社会的な関心の高さは、開発を進めている者にとっては少しばかりの戸惑いとともに強く勇気を与えられる有り難いものであった。
今回開発した装置は次世代広告媒体として業界からも多くの問い合わせがあり、できるだけ早期の製品化を行いたいと考えている。また、室内での使用を前提とした精細化や、フルカラー化を目標に研究をすすめ、「フルカラー3次元ディスプレイ」の実現を目指している。
● 本研究は、株式会社バートン(神奈川県川崎市、代表取締役 木村秀尉、開発担当 浅野明)、慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科 内山太郎研究室と共同で行ったものである。