1999年1月
数種の内分泌攪乱物質の海水中三次元分布について
水圏環境保全部 水質計測研究室 山下信義
- 1.はじめに
- 科学的研究領域においても「暗黙の了解」というものがある。ごくたまにそれを指摘する若い研究者がいたとしても,その道の権威の「常識」よって一笑にふされる類の問題である。海洋環境化学の分野に限定しても多々数え上げることができる。すぐ思いつくのがイガイ(green mussel)中に生物濃縮された化学物質を用いるモニタリング手法である「mussel watch」の欠点である。この研究手法を開発したPhillips自身によって,filter feederであるイガイは海水中懸濁粒子の特定画分に含まれる化学物質組成を反映するに過ぎず,一般化するのは危険なことが判明しているにもかかわらず,多くの研究において代表的海洋汚染指標のように使用されている。
また,海水自体の汚染調査研究では,過去行われたほとんどすべてのモニタリング研究において,表層海水中の化学物質量を測定することで,その海域の汚染を評価している。ごく最近水産庁がまとめた表層海水中PCBの一斉調査結果でも同様であり,表層海水中のPCB濃度のみでその海域の汚染を議論している。一方で,海洋学的な研究における溶存有機物,微量元素などの海洋調査では,鉛直分布の測定が必須であり,表層海水だけで海洋中分布を議論することはほとんどありえない。常識的に考えてみても,本来三次元的環境である海洋の化学物質挙動を知るためには,水平分布と鉛直分布を同時に測定し,三次元的に議論することが必要であるのは自明の理である。これに関して,海水表面のマイクロレイヤーが脂溶性化学物質を濃縮しているという説明があるが,これを科学的に証明した報告は現在までない。また,もしもこの仮設が正しいとしても,完全に混合していない表層海水をそのまま測定し,海水中濃度として議論すること自体疑問視されるべきであるが,これについて述べた報告も全くといっていいほど存在しない。従って,環境汚染物質の海水中三次元分布に関する研究体制の不備は強調されすぎることはない。
話が脱線したが,前述のように環境汚染物質のモニタリング研究では議論されることの少ない,海水中の鉛直分布や三次元分布を内分泌攪乱物質であるPCBやダイオキシン類,ノニルフェノールについて調査した結果を以下に概説する。分析法他については省略するが,必要ならば下記を参考にされたい。
E.S.T, 1998, 32, 1747-1753, Organohalogen Compounds, 1998, 39, 389-392, 人間と環境, 1998, 24, 93-107, Organohalogen Compounds, 1997, 32, 204-209。
現在,引用可能な日本近海海水中のPCB測定データは非常に限定される。総PCB濃度に限れば,1970年代に太平洋で総PCBを測定した例があるが,分析法が古いため現在のデータとの比較は難しい。1975年より,環境庁が毎年行っている「日本近海海洋汚染実態調査」では,PCBについての検出限界は0.2ng/Lであり,ほとんどの海域で検出限界以下と報告しているのみである。また最近,水産庁指導による外洋漁船によるPCBのグローバルモニタリングも行われており,過去の調査法の欠点をふまえて検出感度も数pg/Lまで改良しているが,対象は表層水に限定されており,日本近海海水中PCBの異性体別鉛直分布を検討可能な研究は現在まで存在しないに等しかった。
海水中PCBやダイオキシン類の報告が少ない理由の一つは,存在濃度が極端に低いため,従来の採水方法で捕集可能な数十Lの試料量では高精度の分析が不可能であるためと考えられる。僅かな情報から推測すると,海水中に存在する個々のPCB異性体は0.1pg/Lから0.0001pg/L前後の濃度で存在すると予想されるため,現時点で最高感度の測定装置である高分解能ガスクロマトグラフ−高分解能質量分析計(HRGC-HRMS)を使用しても1000L近い海水を捕集する必要がある。大量の海水を採集する場合は通常,大型の採水器や水中ポンプを使用して海水を船上に汲み上げ,抽出操作を行う。しかし汚染度の高い船上での抽出作業では甲板作業時の二次汚染,大気中PCBの影響,有機溶媒の二次汚染等により信頼性の高い分析を行うことは不可能に近いことがわかっている。
近年,測定対象である海水中に捕集装置を沈めて,微量有機物質を選択的に採集する現場ろ過/吸着装置(in-situ filtration/extraction water sampler)がSachs(1989)やPetrick(1996)によって開発されている。類似法として海水中に沈めたポンプ等によって海水を汲み上げ,船上に設置したろ過/吸着装置にオンラインで海水を導入する方法がSchubler (1993),Matsumura (1995),功刀(1997)等によって開発されている。しかし,後者は船底塗料,浮遊物質からの二次汚染を十分考慮すれば,表層海水に対しては有効であるが,深海に対しては適用できないので,表層から深海までの鉛直分布を研究するには不適である。実際,先に言及した,水産庁の外洋漁船を利用した表層海水のモニタリングはこの手法の簡易型を用いている。
また,現場ろ過/吸着法を使用する場合,有機物質を捕集するために固相吸着剤を使用する必要がある。これにはXAD等のポリスチレン・ジビニルベンゼン系あるいはアクリル酸エステル系の樹脂やウレタンフォームプラグ等を利用し,数十から数百Lの水を通過/吸着させる方法が比較的古くから使用されてきた。現場ろ過/吸着装置は市販製品としてもAXYS Environmental Systems社やChallenger Oceanic社の製品等が存在するが,現在まで人工有機化学物質の環境分析には一般的には使用されてこなかった。
一般化を妨げる要因として,ろ過/吸着方法のもつ原理的なブラックボックスを考慮する必要がある。即ち,対象物質の吸着効率(回収率)を知ることが非常に難しい点である。ダイオキシンやPCBの様な疎水性の高い物質は海水中の粒子に吸着されやすいため,大部分は粒子画分に存在すると予想されるが,この粒子は浮遊粒子(SPM)として捕集される比較的大きな粒子だけではなく,ろ過では捕集できないコロイドや溶存有機物画分にも分配されていると考えられる。固相吸着剤を用いた場合,後者に存在するPCBが完全に捕集されているかどうかを知ることは非常に難しい。海水中のPCBの存在形態自体が十分わかっていないため,吸着剤に化学物質をスパイクし,海水通過後回収率を評価するいわゆる添加回収試験では,実試料での吸着現象は再現できない。筆者の手法では,直列に接続した二連カラムによる回収率確認試験を行い,目的物質が二番目のカラムに溶出していないことを確認している。また,PCBを溶存態と吸着態に分けて分析する場合,SPMを捕集するために,ろ紙を使用する必要がある。ろ過の過程では,ろ紙上に捕集されたSPMが通過する海水中のPCBを吸着する可能性と,ろ紙上のSPMからPCBが逆に溶出する可能性が存在するため,この方法で得られたそれぞれの分析値は,ろ過装置や海水の性状によって大きく異なることが予想される。従って,現場ろ過/吸着法で分別された溶存態と吸着態はそれぞれapparently dissolved phase,apparently particulate phaseと呼ぶべきである。
これらの問題点により,研究者間で測定データを比較することは現状では難しく,また,実際に非汚染状況下で調査を行うことも困難なため,ろ過/吸着方法は現在まで一般化してこなかった。しかし,上記の欠点を考慮しても,現場ろ過/吸着法は表層海水だけではなく,装置を深海まで沈めることで海水中PCB,ダイオキシン類の鉛直分布を明らかにすることができる現在唯一の方法である。
- 2.東京湾におけるダイオキシン類の海水中三次元分布
以下に,現場ろ過/吸着装置を利用した,東京湾海水中の塩素化ダイベンゾダイオキシン(PCDD),塩素化ダイベンゾフラン(PCDF)とPCBの存在濃度を測定した例を説明する。
図1は現場ろ過/吸着装置を使用した海水試料採集の例である。装置はグラスファイバーフィルターを装着したテフロンフィルターホルダー,耐圧ポンプ,吸着材,内蔵バッテリー,制御用コンピューター,フローメーターで構成される。試料海水に接する材質はテフロン,ガラス,ステンレスのいずれかであり,装置全体は水深6000mで使用可能な耐圧仕様である。採水開始・終了時間,ろ過速度その他の制御パラメーターは,沈める直前に外部コンピューターと接続し,設定値を入力することで,ろ過操作は全て自動で行われる。採水過程で生じるろ過速度の変化(主にフィルターの目詰まりによる)は常に制御コンピューターに記録され,採水終了後にろ過量を算出するために使用される。深層海水は潤滑油の汚染のない,オイルレスステンレスワイヤーに直列に装着した4器の装置を海水中に沈め,およそ9時間の間,ろ過/吸着を行った。係留中は操船により,誤差1マイル以内に調査地点を維持した。また,東京湾内の水深の浅い場所では装置をブイに係留し,長期間の試料採集を行った。
図2,3,4はそれぞれPCDD,PCDFとPCBの各調査地点(A,B,C,D,E,F)での鉛直分布を示している。予想に反して,東京湾外湾部(D)と相模湾(E)ではそれぞれ深層水と中層水がPCBs,PCDDs,PCDFsのいずれについても高濃度を示し,表層水はこれらの化学物質の汚染を反映していなかった。この現象は,部分的にはYanagi(1992)の推測する「潮汐ポンプ」に起因していると推測されている。

- また,東京湾におけるダイオキシン類の湾外への移動速度を推定するため,潮汐による海水交換時の海水中濃度の変化を調べた結果が図5(図省略)である。横軸は引き潮時と満ち潮時の濃度の差を元に,一日あたりの潮汐による化学物質移動量を示している。横軸の値が大きいほど湾外に移動しやすいと考えられる。ここでは一日あたりの総PCDDの移動量は20fgとなったが,実際の海水交換速度と図2の海水中濃度を考慮すると,この値は小さすぎるため,ダイオキシンの湾外への移動に関しては潮汐による海水交換はその一部を担っているにすぎないと考えられる。しかし,ここで興味深いのは移動に関わる溶存態(dissolved)と粒子吸着態(paticulate)の割合で,後者よりも前者の方が移動量が大きいことである。ダイオキシン類は粒子吸着性が高いため,通常は粒子による移動が主であると推測されているが,この仮説は分析結果と一見,矛盾する。しかし,この現象は,前述の溶存有機物の寄与で説明できる。つまり,浮遊粒子として捕集される大きな粒子は海水中ダイオキシンの大部分を吸着しているが,重いために移動量は小さい。一方,粒子として捕集されない小さなコロイドや溶存有機物は海水交換にともなってたやすく移動するため,化学物質の存在濃度は低くても全体としての移動量に占める割合は大きくなると考えられる。

- 図6はこれらの結果をもとに推定した,東京湾におけるダイオキシン類の挙動モデルである。陸上へのダイオキシンの負荷量と底質への蓄積量は既報(益永,1998)を引用している。分析結果から推定した東京湾海水中の全PCDD/PCDF濃度は57gとなり,これと全海水の交換速度(1.6ヶ月)を計算し,年間430gのPCDD/PCDFが湾外へ移動していると考えられる。しかし,これらも湾外における生物生産に取り込まれ,湾外の深海へ沈降していくと予想される。また,溶存有機物による移動以外に,再懸濁した底質粒子など比較的大きな粒子が東京湾外斜面を滑り落ちる過程で,これらと同時に移動すると推測される。これが地点DとEで認められた中底層水における高濃度の原因であると考えられる。
- 3.日本海北部におけるPCB・ノニルフェノールの鉛直分布
- 最後に同様な調査を日本海北西部(後志海盆)でPCBとノニルフェノールについて行った結果を説明する。
後志海盆における溶存態および吸着態PCBとノニルフェノールの鉛直分布を図7に示す。それぞれ左がPCB,中央がノニルフェノール(NoPhs)である。比較のため,Petrick等(1996)が報告した北大西洋外洋域の海水中PCB鉛直分布を右図に示す。北大西洋外洋域の海水中PCBsは表層が最も高濃度で,深層ほど濃度が減少している。太平洋や大西洋等の外洋域では一般に表層から深層にかけてPCB濃度は減少する傾向にあり,給源のほとんどが大気経由であることが示唆されている。対照的に,日本海では溶存態については表層と底層で最も低濃度であった。また,溶存態,吸着態とも500m〜1000m,2000m〜2500mで高濃度を示し,調査期間中,鉛直方向にPCBs濃度の異なる複数の水塊が存在したことが窺われた。

- また,ここには載せていないが,各試料中のPCB異性体組成比較結果から,50m 〜100m,500m 〜 1500m,2000m 〜 2500m,3000mの各々の深度で明らかに異性体組成が異なっていた。また,表層水,中層水,深層水のPCB組成の差が比較的明瞭に現れたことから,これらの水塊間の混合は非常に少ないことも窺われた。
ノニルフェノールに関しては外洋海水の分析データは本報告が初めてであり,詳細な考察は難しいが,東京湾内海水や河川水中の濃度に比べると100倍程度低濃度であった。また,PCBと同様に表層水よりも中層水の方が高濃度を示した。
日本海の水塊構造,特に表層水に関しては1950年代から様々な物理探査が行われており,概要が明らかにされているが,局所的な潮流については不明な点が多い。また,1960年代までは,水深300m以深の海水については変化の少ない,「日本海固有水」という均一構造であると考えられてきた。しかし,1970年代初めにNitani(1972)によって,2000m以深の底層水の存在が報告され,1993〜1996年に行われた,Circulation Research of the East Asian Marginal Seaにおいて得られたTS分布によっても,日本海海水が少なくとも表層水・中層水・深層水・底層水の四つの水塊から構成されることが指摘されている(Kim, 1996a, 1996b)。このうち,表層水は対馬暖流等,外部から流入してくる海水の影響が大きく,日本海固有水とは大きく異なった性質をもつ。また,日本海固有水の中でも底層水と深層水の間には温度・栄養塩等の不連続面が存在し,底層水内でのみ活発な鉛直混合をもつと推測されている。この底層水は冬季に日本海北部表層で生成すると推測されているが,毎年生成しているのではなく,不活発な時期もあることが指摘されている(Gamo, 1986)。
このような日本海海水の成層構造をPCBの鉛直分布と比較すると興味深い結果が得られる。つまり,50〜100mの表層水のPCBは500mの海水とは組成・濃度のいずれも明らかに異なっており,500m〜1000mで高濃度を示し,1500m〜2000mで減少するが,これは中層・深層水に相当し,2500m以深の底層水とは明らかに不連続な組成を示す。いいかえると,低濃度の表層水は現在のPCBs汚染状況を表しており,中層から底層へかけての高濃度のPCBは1960年代から1970年代にかけてのPCB汚染の影響を受けている可能性がある。すなわち,日本海北部の中層・深層水は低温高密度水塊(底層水)の生成・沈降現象により過去のPCB汚染を記録しているのではないだろうか。2500mと3000mのPCBs濃度の差は,特定のPCB供給源の存在,または深層水の底層への沈降の可能性を窺わせる。
しかし,一方で,中層,深層での滞留現象は,日本海北部あるいはシベリア近海表層で生成する低温高密度の深層水の生成メカニズムと水平移動を直接反映しているとも考えられるため,これらの海水中に検出されたPCBやノニルフェノールの給源を推定する必要がある。
また,PCBやノニルフェノールの中層,深層での滞留現象が定常状態であり,鉛直混合が生じていないと仮定すると,PCBの環境放出量が激減したここ数十年間は,新たな底層水は生成していないとも考えられる。これは,日本海の底層水の溶存酸素量の減少(Gamo, 1986)とも一致するため,今後の調査が期待される。
従来,PCBの海洋環境挙動に関するモデルとしては,ヘンリー定数等の物理化学的性質をもとにシュミレーションを行う,海水/大気のフラックスモデルが多用されている。しかし,上記の結果を考慮すると,日本海や東京湾のダイオキシン類の動態については単なる物理化学的性質や海水/大気交換だけではなく,溶存有機物等を介したダイナミックな海流の動きが直接これらの物質の挙動に影響している可能性が高いと推測される。
また,本来三次元的な環境である海洋環境中の有害化学物質の挙動を知るためには,従来使用されてきた,表層海水のみの化学分析情報では正しい評価を行うことは不可能であり,鉛直分布も含めた三次元的なモニタリング手法の開発が必要不可欠であることが,以上の結果により明らかである。
ただし,今回の研究は調査地域が限られており,試料数も少ないため詳細な議論は難しい。今後,日本近海の海水中有害化学物質の三次元挙動を明らかにするためには,複数の調査地点で季節的変動を解析するための包括的な研究が必要である。
また,内分泌攪乱物質群の全地球的な動態を明らかにするためには,海洋における溶存有機物の循環等を考慮した,外洋における三次元的調査研究が必要であり,これに関係した国際共同研究が現在進行中である。
水圏環境保全部 水質計測研究室 山下信義
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