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衝突テクトニクス



 伊豆半島がおよそ100万年前から日本列島中部に衝突していることが地質学的、地球物理学的研究により明らかになり、赤石山地と関東山地にはさまれた南部フォッサマグナ地域は、島弧と島弧の衝突帯として注目されています。伊豆半島の北方に位置する丹沢山地も、かつては伊豆大島などのように伊豆弧に属していたものが、フィリピン海プレートの北上に伴って関東山地に衝突したものではないかと考えられました。

丹沢の衝突


 丹沢山地は非常に変質した火山岩類を主体としており、非火山性堆積岩類からなる関東山地の同時期の地層(秩父盆地や五日市盆地など)と対照的です。岩石の特徴だけでなく、変形の程度が著しいことや、北側に接している四万十帯の古期岩類に丹沢山地の火山活動に起因したと思われる貫入岩類が全く認められないことから、丹沢山地も伊豆半島と同様に、かつてはより南方の洋上の火山島であったものが衝突したものではないかと考えられるようになりました。関東山地と丹沢山地の間の地層の詳細な地質調査によって、丹沢山地の衝突はおよそ500万年前であったことが示唆されています
 その後、丹沢山地の西方の御坂山地や、南部フォッサマグナ北西部の櫛形山山地の火山岩類も、丹沢山地の衝突に先だって、関東山地や赤石山地に衝突したものではないかと考えられるようになりました。しかし、衝突の時期は不確定で、中期中新世(1500-1000万年前)ではなかろうか、と推定されています。この推察は、中期中新世には南部フォッサマグナの南には現在の伊豆弧のような活動的島弧が存在していたことを暗黙に仮定していますが、そのことについては他の地質学的証拠が必要でしょう。


スコリアの起源

 伊豆弧が中期中新世にどこにあったか、多くの研究者が様々な見解を述べています。かつてはより東方にあったとする解釈もありましたが、最近では西方から徐々に東に移動してきて、およそ700万年前に現在の位置に到達したとするモデルも提示されています(Hall et al., 1995など)。しかしながら、地層を丹念に観察すると、すくなくとも1300万年前には現在とほぼ同じ位置に伊豆弧に相当する活動的島弧(”古伊豆弧”)が、房総半島や三浦半島沖に存在したことが明らかです。
 写真は房総半島の西端に露出する500-600万年前に海底で堆積した地層とその接写です。白い部分は泥が固まった泥岩で、陸から離れた海底で堆積したものです。一方、黒い部分はスコリアといって、火山噴出物の一種です。黒色なのは組成が玄武岩質であるためで、一枚の地層が一回の噴出にほぼ対応しています。したがって、玄武岩質火山活動が活発であったことがうかがえます。
 スコリアは大きいもので径3cm程度、また表面は全く円磨されていないことが分かります。スコリア層の厚さが広域で一定していることや、海底斜面を流れ下ったことを示す堆積構造が見られないこと、さらに粗粒であることから、近くの火山の噴出に起因した降下火砕堆積物であろうと考えられます。すなわち、当時近傍に活動的火山が存在した地質学的証拠といえるでしょう。
 房総半島においては、これらのスコリアのもっとも古いものはおよそ1300万年前であることから、少なくとも1300万年前には現在の伊豆大島などのような活動的火山が房総半島沖に存在したことになります。従って、1300万年前以降に”古伊豆弧”を現在の位置から大きく移動させるモデルは成り立ちません。しかしながら、1300万年前に活動的”古伊豆弧”が房総半島沖に突然近づいてきたのか、あるいは1300万年前に”古伊豆弧”が突然火山活動を開始したのかは、今後の研究課題です。

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