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秋田焼山1949年噴火


秋田焼山の1949年噴火についての記載論文(津屋弘達,1954 秋田県焼山火山と玉川温泉,玉川温泉研究会十周年誌,130-135,玉川温泉研究会編)のまとめ(曽屋による).
なお()の中は曽屋のコメント.

秋田県焼山火山と玉川温泉

昭和24年9月(8月末が正しい)の爆発を,昭和25年8月に,また昭和26年2月の爆発を(気象庁活火山要覧,日本の火山(1),村山にはない)昭和27年8月に現地調査をした.

鬼ケ城はデイサイトの溶岩円頂丘で,その上にC1-C4の爆裂火口がある.C1が涸沼(現在の空沼)で,かっては枯渇していたが,硫黄採取のため湯沼の水を人工的にここに排水していた.(第1図). 焼山は明治20年頃爆発したといわれているが,その詳細は明らかでない.昭和24年の爆発は,9月末(8月末の間違い?)おこったもので,……後生掛温泉では,爆音を聞かず,また地震を感じなかった.

AY1949-1.GIF

爆発は,涸沼(空沼)火口の東壁に起った.第2図に示すように,a1, a2, a3の三つの小火口ができ,これから噴出した泥土が北東方向に分布する.a1, a2火口はヒョウタン型につながり,a1は,直径15m,深さ10m,a2は,直径10m,深さ15m,a3は,直径5m,深さ2m.噴出物は主に淡灰色の泥土と1m内外の溶岩片が混じっている.堆積物の厚さは,a1火口の縁で約1mであった.

AY1949-2.GIF
昭和26年2月の爆発は,涸沼(空沼)火口の南東壁上で,24年の爆発のよって生じたa3火口と一致している.a3火口は直径5mの小火口であったが,昭和26年の爆発で,直径,深さともに約50mに拡大だれた.噴出物は,淡灰色の泥土と古い溶岩塊で,火口の南方に外輪山上まで達してたが,, 量は昭和24年より少ない.火口の縁に近いところでも厚さ10cm内外であった.

涸沼(空沼)は,ふだん熱い水蒸気やガスを吐く噴気孔や硫気孔をもっていない.火口原の硫黄採掘場になっているところには,多数の小硫気孔や熱泥噴出孔があるので,ここに噴出すべきガスの一部が,ふだん固く閉塞されている涸沼(空沼)火口の地下浅いところにたまって,その圧力で爆発を起こしたか,あるいは火口の地下にしみ込んだ地下水が硫黄採掘場地下からの熱によって蒸気化し,その圧力で爆発を起こしたと考えられる.


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