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鬼ケ城はデイサイトの溶岩円頂丘で,その上にC1-C4の爆裂火口がある.C1が涸沼(現在の空沼)で,かっては枯渇していたが,硫黄採取のため湯沼の水を人工的にここに排水していた.(第1図). 焼山は明治20年頃爆発したといわれているが,その詳細は明らかでない.昭和24年の爆発は,9月末(8月末の間違い?)おこったもので,……後生掛温泉では,爆音を聞かず,また地震を感じなかった.
爆発は,涸沼(空沼)火口の東壁に起った.第2図に示すように,a1, a2, a3の三つの小火口ができ,これから噴出した泥土が北東方向に分布する.a1, a2火口はヒョウタン型につながり,a1は,直径15m,深さ10m,a2は,直径10m,深さ15m,a3は,直径5m,深さ2m.噴出物は主に淡灰色の泥土と1m内外の溶岩片が混じっている.堆積物の厚さは,a1火口の縁で約1mであった.
涸沼(空沼)は,ふだん熱い水蒸気やガスを吐く噴気孔や硫気孔をもっていない.火口原の硫黄採掘場になっているところには,多数の小硫気孔や熱泥噴出孔があるので,ここに噴出すべきガスの一部が,ふだん固く閉塞されている涸沼(空沼)火口の地下浅いところにたまって,その圧力で爆発を起こしたか,あるいは火口の地下にしみ込んだ地下水が硫黄採掘場地下からの熱によって蒸気化し,その圧力で爆発を起こしたと考えられる.